1333年
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 13世紀 - 14世紀 - 15世紀 |
十年紀: | 1310年代 1320年代 1330年代 1340年代 1350年代 |
年: | 1330年 1331年 1332年 1333年 1334年 1335年 1336年 |
1333年(1333 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
目次
1 他の紀年法
2 カレンダー
3 できごと
4 誕生
5 死去
6 脚注
7 関連項目
他の紀年法
干支 : 癸酉
日本
後醍醐天皇 : 元弘3年
光厳天皇 : 正慶2年(5月25日まで)
皇紀 : 1993年
中国
元 : 至順4年、元統元年10月8日 -
朝鮮
高麗 : 忠粛王(重祚)2年
檀紀 : 3666年
ベトナム
陳朝 : 開祐5年
仏滅紀元 : 1875年 - 1876年
イスラム暦 : 733年 - 734年
ユダヤ暦 : 5093年 - 5094年
カレンダー
1333年のカレンダー(ユリウス暦)
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できごと
日本ではこの年に後醍醐天皇が隠岐を脱出し、足利高氏や新田義貞が挙兵して最終的に鎌倉幕府が滅亡に至っており(元弘の乱)、歴史上の大きな転換点となった年である。
4月9日(正慶2年/元弘3年閏2月24日) - 後醍醐天皇が配流先の隠岐を脱出して京へ向かう。
5月11日(正慶2年/元弘3年3月27日) - 名越高家・足利高氏、鎌倉から京都へ向けて出立。
5月30日(正慶2年/元弘3年4月16日) - 足利高氏、京都着。
6月10日(正慶2年/元弘3年4月27日) - 名越高家、赤松則村との合戦で敗死。
6月12日(正慶2年/元弘3年4月29日) - 足利高氏、丹波国篠村八幡宮にて旗揚げ。鎌倉幕府に反旗を翻す。
6月19日(正慶2年/元弘3年5月7日) - 六波羅探題、足利高氏・赤松則村・千種忠顕の軍勢に滅ぼされる。六波羅探題北方北条仲時、光厳天皇を擁して都落ち。
6月20日(正慶2年/元弘3年5月8日) - 新田義貞、上野国新田荘で挙兵。
6月21日(正慶2年/元弘3年5月9日) - 北条仲時、近江国番場(現在の滋賀県米原市番場)蓮華寺で自刃。大仏高直ら、千早城の包囲を解き、奈良興福寺に立てこもる。
6月23日(正慶2年/元弘3年5月11日) - 新田義貞、小手指原で幕府の軍勢を破る。(小手指原の戦い)
6月24日(正慶2年/元弘3年5月12日) - 新田義貞、久米川で幕府の軍勢を破る。(久米川の戦い)
6月27日(正慶2年/元弘3年5月15日) - 新田義貞、分倍河原で北条泰家の軍勢を破る。(分倍河原の戦い)
6月30日(正慶2年/元弘3年5月18日) - 鎌倉攻防戦(鎌倉の戦い)始まる。北条守時、洲崎で自刃。
7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条高時・金沢貞顕・長崎円喜ら北条一門、鎌倉東勝寺で火を放った後に自刃。鎌倉幕府滅亡。(東勝寺合戦)
7月7日(正慶2年/元弘3年5月25日) - 鎮西探題北条英時、少弐貞経・大友貞宗・島津貞久らに攻められて博多で自刃。
7月8日(元弘3年5月26日) - 長門探題北条時直、降伏。
7月16日(元弘3年6月4日) - 後醍醐天皇、京都東寺に帰還。
8月4日(元弘3年6月23日) - 護良親王、征夷大将軍に任じられる。
9月14日(元弘3年8月5日) - 足利高氏、後醍醐天皇から一字を与えられ、名を尊氏と改める。- 元弘3年9月 - 雑訴決断所設置
- 元弘3年10月 - 天皇側近の北畠親房、親房の子で鎮守府将軍・陸奥守に任命された北畠顕家が義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国へ派遣されて陸奥将軍府が成立
- 元弘3年12月 - 足利直義が後醍醐天皇皇子の成良親王を奉じて鎌倉へ派遣され、鎌倉将軍府が成立。
誕生
「Category:1333年生」も参照
2月16日(正慶2年2月2日) - 善如、南北朝時代の浄土真宗の僧(+ 1389年)
上杉能憲、南北朝時代の武将(+ 1378年)
エンリケ2世、カスティーリャ王国トラスタマラ王朝の初代国王(+ 1379年)
観阿弥、南北朝時代、室町時代の猿楽師(+ 1384年)
長尾高景、南北朝時代、室町時代の武将(+ 1389年)
ミハイル・アレクサンドロヴィチ、トヴェリ大公(+ 1399年)
死去
「Category:1333年没」も参照
2月21日(正慶2年/元弘3年2月7日) - 日興、鎌倉時代の僧(* 1246年)
3月2日 - ヴワディスワフ1世、ポーランド王(* 1260年/1261年)
4月15日(正慶2年/元弘3年閏2月1日) - 村上義光、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
4月27日(正慶2年/元弘3年3月13日) - 菊池武時、鎌倉時代の武将、菊池氏の第12代当主(* 1292年)
6月18日 - ハインリヒ15世、下バイエルン公(* 1312年)
6月20日(正慶2年/元弘3年5月8日) - 北条時益、六波羅探題南方(* 生年未詳)
6月21日(正慶2年/元弘3年5月9日)- 糟屋重行、鎌倉時代の武将(* 1270年)- 6月21日(正慶2年/元弘3年5月9日)- 河越貞重、鎌倉時代の御家人、武蔵河越氏の第8代当主(* 1272年)
- 6月21日(正慶2年/元弘3年5月9日)- 北条仲時、六波羅探題北方(* 1306年)
6月22日 (正慶2年/元弘3年5月10日) - 恒性皇子、鎌倉時代の皇族(* 1305年)
6月30日(正慶2年/元弘3年5月18日) - 北条守時、鎌倉幕府第16代執権(* 1295年)
7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 安達時顕、鎌倉時代の御家人(* 生年未詳)- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 諏訪直性、鎌倉時代の得宗被官(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 摂津親鑑、鎌倉時代の武士、文官(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 長崎高重、鎌倉時代の得宗被官(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 長崎高資、鎌倉時代の得宗被官(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 長崎円喜、鎌倉時代の得宗被官(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条国時、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条基時、鎌倉幕府第13代執権(* 1285年)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条高時、鎌倉幕府第14代執権(* 1303年)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条貞顕、鎌倉幕府第15代執権(* 1278年)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条貞直、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条貞将、鎌倉時代の武将(* 1302年)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条茂時、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 7月4日(正慶2年/元弘3年5月22日) - 北条高朝、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
7月7日(正慶2年/元弘3年5月25日) - 北条英時、鎌倉時代の武将、鎮西探題(* 生年未詳)
7月11日(正慶2年/元弘3年5月29日) - 北条邦時、鎌倉幕府第14代執権北条高時の長男(* 1325年)
8月19日(正慶2年/元弘3年7月9日) - 北条治時、鎌倉時代の武将(* 1318年)
9月25日(正慶2年/元弘3年8月16日) - 守邦親王、鎌倉幕府第9代征夷大将軍(* 1301年)
11月19日(正慶2年/元弘3年10月12日) - 西園寺禧子、後醍醐天皇の中宮(* 1303年)
12月22日(正慶2年/元弘3年11月15日) - 日目、鎌倉時代の法華宗富士門流の僧(* 1260年)
イブン・ジャマーア、シリアのシャーフィイー派イスラム法学者(* 1241年)
エル・テムル、元の将軍(* 生年未詳)
庄資房、鎌倉時代の武将(* 1283年?)
ステファノス・ガヴリイロプロス、セサリア君主国の独立支配者(* 生年未詳)
脚注
注釈
出典
関連項目
- 年の一覧
- 年表
- 年表一覧
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