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Showing posts from March 27, 2019

断絶 (アルバム)

『 断絶 』 井上陽水 の スタジオ・アルバム リリース 1972年5月1日 ジャンル フォーク レーベル ポリドール プロデュース 多賀英典 チャート最高順位 週間8位(オリコン) [1] 1974年度年間7位(オリコン) [2] 1975年度年間11位(オリコン) [3] 井上陽水 年表 断絶 (1972年) 陽水II センチメンタル (1972年) 『断絶』収録のシングル 「人生が二度あれば」 リリース: 1972年3月1日 「傘がない」 リリース: 1972年7月1日 「愛は君」 リリース: 1994年4月10日 テンプレートを表示 『 断絶 』(だんぜつ)は、日本のミュージシャンである井上陽水の1枚目のアルバムである。アンドレ・カンドレとして活動していた井上が、 井上陽水 の名義で再デビューを果たした作品である。 目次 1 解説 2 収録曲 2.1 SIDE A 2.2 SIDE B 3 参加ミュージシャン 4 出典 解説 「傘がない」は1972年7月にシングルカットされ、井上陽水を代表する1曲となった [4] 。 「愛は君」は日活ロマンポルノの『感じるんです(1976年、日活、泉じゅん主演)』の挿入歌、テレビドラマ『スチュワーデスの恋人』(1994年、TBS)の主題歌として使用された。 発売当初の1972年、1973年には年間トップ10入りは果たせなかったが、日本で初めてミリオンセラーとなった3rdアルバム『氷の世界』の年間1位と並行して、本作も1974年の年間7位及び1975年の年間11位を獲得した。オリコンチャート(100位以内)には163週にわたりチャートインし、51.1万枚のセールスを記録した [2] [3] 。 1985年に初めてCD化され、1990年、1996年、2001年(紙ジャケット仕様)、2006年(ユニバーサルJより)にも再リリースされている。 「限りない欲望」は2004年に『YOSUI TRIBUTE』で櫻井和寿と小林武史の組んだBank Bandがカバーしている。 収録曲 全作詞・作曲:井上陽水、

フライング・キティ・バンド

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この記事には 複数の問題があります 。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典 がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。 ( 2013年8月 ) 独自研究 が含まれているおそれがあります。 ( 2013年8月 ) 『 フライング・キティ・バンド 』( Flying Kitty Band )は、1977年に小椋佳・星勝・安田裕美を中心として当時のキティレコードの有志で結成されたロックバンドである。プロデューサーは多賀英典である。 概要 「シクラメンのかほり」、「俺たちの旅」、「揺れるまなざし」と立て続けにヒットを飛ばしていた小椋は、自分の歌唱力に限界を感じ(どんな歌を歌っても単調になると悩んでいた)、その打開策を模索して本バンドを結成した。 小椋は銀行マンであり忙しい身だったため、サウンドに関してはスタッフに任せることが 多かったらしい [ 独自研究? ] 。そのため小椋のレコード作りはキティのサウンド実験室と呼ばれていた [ 誰に? ] 。 プロデューサーの多賀は、「クラシカルサウンド」から「よりドラマチックな新しいサウンド」を求め、『残された憧憬』以後の小椋のアルバム作りに星を起用した。サウンド的にはロック色を濃くしていく。当初、星は小椋のアレンジに参加することを嫌がった( ロックしていない [ 要追加記述 ] ため)が、やっているうちにのめり込み、自ら最高傑作と言わしめたアルバムが『残された- 』である。『残された- 』、『夢追い人』、『道草』、『遠ざかる風景』、本バンドのアルバム『5・4・3・2・1・0』の「中期小椋」のサウンドは、ほとんどが星のプロデュースである。星は、小椋の作品ではサウンド的に好き勝手に やらせてもらっていたらしい [ 独自研究? ] 。多賀社長に「小椋佳と星勝はサウンド的に切っても切れない関係」と言わしめた。 アルバム『5・4・3- 』は、ロサンゼルスで録音された [1] 。当時小椋が三度目の銀行の研修で渡米したことにかこつけてスタッフが押し寄せた。ロスでは Attitudes (デヴィッド・フォスター、ジム・ケルトナーら)、ジェイ・グレイドン、トム・スコット、デイヴィッド・T・ウォーカー、ジョン・ゲリンの布陣を敷く。日本勢は、正木

安田裕美

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この 存命人物の記事 には、 出典が 全くありません 。 信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものは すぐに除去する必要があります 。 ( 2018年2月 ) 安田裕美 生誕 ( 1948-04-07 ) 1948年4月7日(70歳) 出身地 日本 学歴 獨協大学外国語学部ドイツ語学科中退 ジャンル J-POP 職業 作曲家 編曲家 ギタリスト 担当楽器 ギター 共同作業者 六文銭 フライング・キティ・バンド 安田 裕美 (やすだ ひろみ(男性)、1948年4月7日 - )は、日本の作曲家・編曲家・ギタリスト。妻はシンガーソングライター、山崎ハコ。 経歴 小樽桜陽高等学校卒業、獨協大学外国語学部ドイツ語学科中退。六文銭、フライング・キティ・バンドのメンバーとして活動。その後、サポートギタリストをする傍ら、作曲、編曲活動も行う。 井上陽水のデビュー当時を支えたバックギタリストとして有名。 主な作曲・編曲・演奏楽曲 井上陽水「Music High」「もうじき夏がくる」(編曲) 小椋佳「ひときれの青空」「いまさら」「あくび」「天井」(作曲)「春なんだなぁ」「君の肩越しに」「君が旅に出ると言った時には」「インターミッション」「憧れ遊び」「こうして」「ただお前がいい」「何故でしょう」(編曲) 崎谷健次郎「君がいた休日」(G.Guitar演奏)「愛はいつも」(A.Guitar演奏)「あじさい」(G.Guitar演奏) 中島みゆき「杏村から」「あなたが海を見ているうちに」(編曲) 中村雅俊「盆がえり」「風のない日」(編曲) フォーリーブス「遠い日」(編曲) フライング・キティ・バンド「墓石を空へ」「いらだち」(作曲) ドキュメンタリー映画「東京ソーダ水」(音楽) 典拠管理 MusicBrainz: 87091831-d7c6-4256-ac67-502989aa7c4b この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した 書きかけの項目 です。この項

小椋佳

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この記事には 複数の問題があります 。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典 が不足しています。 存命人物 の記事は特に、検証可能性を満たしている必要があります。 ( 2013年8月 ) 独自研究 が含まれているおそれがあります。 ( 2013年8月 ) 小椋 佳 出生名 神田 紘爾(かんだ こうじ) 別名 葉月多夢 生誕 ( 1944-01-18 ) 1944年1月18日(75歳) 出身地 日本 東京都台東区上野 学歴 東京大学法学部卒業 ジャンル フォークソング 職業 シンガーソングライター 元銀行員 担当楽器 歌 ギター 薩摩琵琶 活動期間 1971年 - 公式サイト gfe.co.jp/ogla 小椋 佳 (おぐら けい、本名:神田 紘爾(かんだ こうじ)、1944年1月18日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家である。 目次 1 来歴・人物 2 ディスコグラフィ 3 書籍・著作 4 NHK紅白歌合戦出場歴 5 ラジオ番組 6 備考 7 脚注 7.1 注釈 7.2 出典 8 関連カテゴリ 9 外部リンク 来歴・人物 東京都下谷区東黒門町(台東区上野)出身。両親は飲食店を経営 [1] 。 東京都立上野高等学校、東京大学法学部卒業後、日本勧業銀行(後の第一勧業銀行、現:みずほ銀行)入行 [注 1] 。銀行マンとして証券部証券企画次長、浜松支店長 [注 2] 、本店財務サービス部長などを歴任する傍らで音楽活動を行ってきた。またこの間、ノースウェスタン大学留学や、メリルリンチ証券派遣など、米国滞在を経験している。 1971年、歌手デビューした。当初は、フォークソングあるいはニューミュージックに分類されていたが、次第にジャンルを広げていった。 初コンサートは1976年10月7日NHKホール、2度目は1982年1月普門館 [注 3] である。 1993年、銀行を退職すると、音楽活動の一方で母校の東京大学法学部に学士入学。さらに文学部とその大学院でも

RCサクセション

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RCサクセション 出身地 日本・東京都 ジャンル ロック フォークロック ポップ・ロック ブルースロック エクスペリメンタルロック グラムロック R&B パンク・ロック 活動期間 1969年 - 1991年 レーベル 東芝音楽工業 ポリドール Kitty Records ロンドンレコード 東芝EMI 事務所 ホリプロダクション りぼん うむ 共同作業者 穂口雄右 星勝 椎名和夫 メンバー 忌野清志郎(ボーカル・ギター) 小林和生(ベース・ボーカル) 仲井戸麗市(ギター・ボーカル) 春日博文(ギター・ドラムス) 厚見玲衣(キーボード) 旧メンバー 破廉ケンチ(ギター・ボーカル) 新井田耕造(ドラムス) 小川銀次(ギター) Gee2wo(キーボード・ギター) RCサクセション (アールシーサクセション、RC SUCCESSION)は、日本のロックバンド。 忌野清志郎をリーダーとし [ 要出典 ] 、「King of Rock」「King of Live」の異名をとるなど「日本語ロック」の成立や、現在日本で普通に見られるロックコンサート、ライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。実際、RCサクセション (以下、特段の理由がない限り「RC」と略す) に影響を受けたと公言するミュージシャンは非常に多い。 彼らが発信するファッションや言動などは音楽業界にとどまらず若者の間でサブカルチャー的存在とまでなり、1980年代を中心にまさに時代を席捲した。 その後、1991年より無期限の活動休止状態に入ったまま復活することはなく、2009年5月2日忌野清志郎の死去のため、事実上バンドは解散となった。 目次 1 概要 1.1 メンバー 1.1.1 1991年までのメンバー 1.1.2 過去のメンバー 1.1.3 サポートメンバー 1.1.4 プロデューサー・編曲家 1.1.5 その他のメンバー 1.2 楽曲 1.2.1 特徴 2 バンド名の由来 3 来歴 4 詳細・エピソード 4.1 結成 〜 デビュー「宝くじは買わない