数え年
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数え年(かぞえどし)とは、年齢や年数の数え方の一つで、生まれてから関わった暦年の個数で年齢を表す方法である。即ち、生まれた年を「1歳」「1年」とする数え方である。
以降、暦年が変わる(元日(1月1日)を迎える)ごとにそれぞれ1歳、1年ずつ“年をとる”(例:12月31日に出生した場合、出生時に1歳で翌日には2歳となる。また1月1日に出生した場合は、2歳になるのは翌年の1月1日になる)。数え歳や数えともいい、年齢以外の項目では足掛け(あしかけ)ともいう。年齢の序数表示(たとえば、満年齢の0歳をあらわす英語の “first year of life” など)とは異なる。
これに対し、誕生日前日24時を過ぎた時点で加齢・加年する数え方を「満年齢」「満」といい、生まれた年を「0歳」「0年」として暦年が変わるごとに加齢加年する数え方を「周年」という。
目次
1 加齢のタイミング
2 「数え年」を使用した理由
2.1 始まりを1歳とする理由
2.2 何月生まれでも元日で一斉に加齢する理由
3 数え年の計算方法
4 各国の状況
4.1 日本
5 数え年、満年齢、周年の区別
6 脚注
7 外部リンク
加齢のタイミング
加齢は元日を基準とするので暦法に依存する。グレゴリオ暦の導入[1]以前は暦法により元日が新暦に対し異なる。下記の数え年の計算方法の項を参照。
「数え年」を使用した理由
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満年齢及び「0」の項を参照すると当項目についての理解を得やすい。
始まりを1歳とする理由
- 0の概念が存在しない、あるいは序数として扱い0を起点としない
- 元号や学年なども「1年」から始まり「0年」は無い。同様に、生まれて1年目の齢=1歳と考える。
- 現在でも妊娠月齢などは、0ヶ月がなく1ヶ月から始まる方式となっている。
- 元号や学年なども「1年」から始まり「0年」は無い。同様に、生まれて1年目の齢=1歳と考える。
- 宗教的(仏教など)な考えに基づく理由
何月生まれでも元日で一斉に加齢する理由
- 処理の簡便化のため
- 家族内での多数の子供や、公的制度・地域行事での年齢基準について、個人ごとに日付で細かく加齢のタイミングを扱うのは煩雑だから。
- 満年齢でも、一日のうち朝生まれでも夜生まれでも区別なく一律に○日生まれと扱い、日の変わり目で一斉に加齢する。それを年単位で、何月何日に生まれても年の変わり目で一斉に加齢するようにした理解でもある。
- 家族内での多数の子供や、公的制度・地域行事での年齢基準について、個人ごとに日付で細かく加齢のタイミングを扱うのは煩雑だから。
- 暦法(太陰太陽暦)による問題
- 太陰太陽暦は太陽暦(グレゴリオ暦)に対して約3年に1回(約19年に7回)の割合で閏月を挿入したため、1年の長さが年によってことなる。よって満年齢を用いるのには問題が生じる。つまり約3年に1回ほど閏月が入ったので、閏月に生まれた者は閏月のない年には(正確な)誕生日がないので満年齢が正確に計算できないため。
- 例 : 元禄4年閏8月1日生まれ⇒元禄5年閏8月1日はない(元禄は、貞享暦)。
- なお、太陽暦でも閏日が存在するが4年に1度かつ1日の事であり、かつ現在の法律ではいずれも誕生日前日の満了時(誕生日前日午後12時)を以って加齢する方式が採られており、また実務的に誤差の範囲として調整できる事が陰暦の閏月と大きく異なる(誕生日前日午後12時は誕生日当日午前0時と同じ時間ではあるが、法律上は誕生日の前日が加齢日となる)。
- 太陰太陽暦は太陽暦(グレゴリオ暦)に対して約3年に1回(約19年に7回)の割合で閏月を挿入したため、1年の長さが年によってことなる。よって満年齢を用いるのには問題が生じる。つまり約3年に1回ほど閏月が入ったので、閏月に生まれた者は閏月のない年には(正確な)誕生日がないので満年齢が正確に計算できないため。
数え年の計算方法
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- 数え年は、生まれた時点の年齢を1歳とし、以後元日が来るごとに1歳を加算する。それに対して満年齢は、生まれた時点の年齢を0歳とし、以後誕生日前日午後12時に1歳を加算する。したがって、満年齢と数え年の関係は次のようになる。
- 現在の日本では太陽暦を用いており、和暦と西暦の日付は一致するので、自分の今年の数え年は、元日から誕生日前日午後12時までは「満年齢+2」、それ以降は「満年齢+1」で計算する。
- 現在も太陰太陽暦を用いている国や、太陰太陽暦(旧暦)を用いていた時代の物故者については、その国の当時の暦法の元日を基準として加算される。
- 日本では明治5年12月2日(1872年12月31日)まで天保暦[2]が用いられていたため、新暦導入以前の和暦とグレゴリオ暦の日付には差異があり、元日が異なる。そのため、和暦の元日から換算した西暦[3]の年をその和暦の西暦の年として生没年を計算しないと誤った数え年が計算されるおそれがある。
- 暦法による日付の差異
元禄元年1月1日=グレゴリオ暦1688年2月2日
- 和暦から換算した西暦の年
- 元禄元年12月10日=グレゴリオ暦1689年1月1日。よって、グレゴリオ暦は年が明けている。グレゴリオ暦を基準とすると数え年が「1」加算されてしまい、当時の文献などと整合が失われてしまう。元禄元年は1月1日 - 12月29日(グレゴリオ暦1689年1月20日)までを、西暦1688年として考えなければならない。
各国の状況
日本・中国・朝鮮半島・ベトナムの東アジア諸国では古くから満年齢は使われず、数え年が使われてきた。しかしその後、多くの国で満年齢に切り替わっていった。日本や中国では公的に廃止されてもしばらくは民間で数え年が使われていたが、日本では第二次世界大戦後、朝鮮半島の北朝鮮では1948年の独立後にほとんど使われなくなったが、韓国では現在でも満年齢と一緒によく使われている。ベトナムでは植民地時代の間に使われなくなった。中国では文化大革命後、公的な場所や企業等での使用が見られなくなったものの、都市を離れた農村部では自分の年齢を数え年で数える人は現在でも存在する。
現在、1歳加える日は日本ではグレゴリオ暦の1月1日、中国では春節(旧正月。時憲暦の1月1日で、日本の旧正月とはずれることがある)である。ただし日本では地方や流派によって、旧正月や立春とすることがある。立春とするのは、本来旧正月としたいところを簡便にするための新しい方法である。
中国語では虚歳という(満年齢は週歳・実歳・足歳)。英語ではEast Asian age reckoningといい、数えで×歳であることはin one's ×th yearともいう。満年齢を特に指す言葉はない。
日本
日本でも古くから数え年が使われていたが明治6年2月5日の「太政官布告第36号(年齡計算方ヲ定ム)」を受け、満年齢を使用することとなった。
ただし明治6年太政官布告第36号では年齢計算に関しては満年齢を使用することとしながらも、旧暦における年齢計算に関しては数え年を使用するとしていた。
1902年12月22日施行の「年齢計算ニ関スル法律(明治35年12月2日 法律第50号)」で、明治6年太政官布告第36号が廃止され、満年齢に一本化されることとなった。
しかし一般には数え年が使われ続けたことから、1950年1月1日施行の「年齢のとなえ方に関する法律(昭和24年5月24日 法律第96号)」により
国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治35年法律第50号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によってこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。
と国民には満年齢によって年齢を表すことを改めて推奨し
国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては、当該機関は、前項に規定する年数又は月数によつてこれを言い表わさなければならない。但し、特にやむを得ない事由により数え年によつて年齢を言い表わす場合においては、特にその旨を明示しなければならない。
と国・地方公共団体の機関に対しては満年齢の使用を義務付け、数え年を用いる場合は明示することを義務付けた。
同法制定の理由は以下の4点である。
- 「若返る」ことで日本人の気持ちを明るくさせる効果
- 正確な出生届の促進
- 国際性向上
- 配給における不合理の解消
これらの内、当時切実だった理由は4の配給の問題であった。実際、例えば12月に子供が生まれ翌年2月に「2歳だ」という理由でキャラメルが配給されることなどはよくあった。当然のことながら、生後2か月の乳児にキャラメルを支給しても無意味である。また、満年齢では50代であるのに数え年では60代という理由で配給量を減らされるなどの問題も起きていた。配給量の基礎となるカロリー計算は満年齢を基に算定されていたにも関わらず実際の配給の現場では数え年を基に支給されていたため、これらのような支障が生じていた(詳しくは年齢のとなえ方に関する法律参照)。
本来、数え年で行われてきた伝統行事である七五三や年祝い(古稀・喜寿など)も数え年・満年齢のいずれで祝ってもよいとされていることが多い。この場合、原則として数え年・満年齢のいずれを用いても同じ数字の年齢で行われるが、外的に還暦の場合のみ数え年で行う場合は61歳、満年齢で行う場合は60歳と行われる年齢の数字が異なる。ただし厄年には数え年を使い、「満年齢」を使うことはほとんどない。なお葬祭の際に記す「享年(行年)」は仏式や神道では数え年が使われるが、現在では満年齢が使用されている。「一周忌」を除く、「年回忌」の数え方は現在も数え年に準じている。
また、日本の競走馬の年齢(馬齢)も1990年代頃までは数え年によっていた。しかし2001年からは馬齢の国際表記に従って、「生まれた年を0歳、(新たに1月1日を迎える毎に)1歳加齢する(=数え年から1を引いたもの)」とすることになった。つまり加齢日は現在も一律に1月1日であり、馬齢=「満年齢」ではない。他の分野の後年の例では、ジャイアント馬場の全日本プロレス(1972年創業)で1981年に10周年記念イベントを実施したほか、1989年に馬場(1960年デビュー)の30周年記念試合を実施した例がある。なお、馬場の30周年記念試合は1990年にも実施された。
数え年、満年齢、周年の区別
- 数え年
- y年目、足掛けy年
- 満年齢
- y年m箇月(経過した記念日の回数)
- 周年
- y年後
- y年後
- 用例
- 50年目(数え年)= 49年後 = 49周年
- 13回忌(数え年)= 死後12周年。
脚注
^ 日本では1873年(明治6年)1月1日に、太陽暦への改暦(明治改暦)。国によって導入時期は異なる。
^ 弘化元年1月1日(1844年2月18日)~明治5年12月2日(1872年12月31日)の間に用いられた和暦。
^ Wikipediaでは人物の生没年月日を西暦をグレゴリオ暦の実施日(1582年10月15日)以降はグレゴリオ暦で、それ以前はユリウス暦で記載することを原則としている。
- 序数
- 紀年法
外部リンク
石井研堂『明治事物起原』( 近代デジタルライブラリー)…「年齢に二様有る始 明治六年二月五日の太政官第三十六号に、自今年齢計算候儀、幾年幾月と可相数事とあり。これより、民間に数え年幾つ、満幾つと、二種の年齢をいふことゝはなれり。」