カワラバト




















カワラバト

Columba livia
カワラバト(2012年1月4日、日本)


保全状況評価[1]

LEAST CONCERN
(IUCN Red List Ver.3.1 (2001))
Status iucn3.1 LC.svg

分類












































:

動物界 Animalia


:

脊索動物門 Chordata

亜門
:

脊椎動物亜門 Vertebrata


:

鳥綱 Aves


:

ハト目 Columbiformes


:

ハト科 Columbidae


:

カワラバト属 Columba


:

カワラバト C. livia


学名

Columba livia
Gmelin, 1789[2]
英名

rock dove,
rock pigeon

分布図      自然分布域     移植分布域
分布図
     自然分布域     移植分布域


カワラバト(河原鳩、学名: Columba livia)は、ハト目ハト科カワラバト属(英語版)に属する鳥類の一種である。本来ヨーロッパ、中央アジア、北アフリカなどの乾燥地帯に生息する鳥だったが、人に馴れやすいため家禽化され、食用や伝令用として利用されたほか、愛玩用の品種も多数作られた。カワラバトは日本ではかつて狩猟対象だったが、伝書鳩を撃ってしまう危険性がある等の理由から、本種はその対象から外された経緯がある(飼鳥を射殺すると動物愛護法に触れる)。なお、日本でカワラバトの次によく見かけるキジバトは現在でも狩猟対象である。単に『ハト』と言えばこの事を指す。




目次






  • 1 「カワラバト」と「ドバト」


  • 2 形態・生態


  • 3 分布


  • 4 保全状況評価


  • 5 能力


  • 6 人間との関わり


    • 6.1 日本のカワラバトの歴史


    • 6.2 カワラバトによる被害


      • 6.2.1 防止策




    • 6.3 餌やりの問題




  • 7 脚注


    • 7.1 注釈


    • 7.2 出典




  • 8 関連項目


  • 9 外部リンク





「カワラバト」と「ドバト」


当該の鳥を指し示す言葉として、室町時代から「たうばと(塔鳩)」、これに加え、安土桃山時代には「だうばと(堂鳩)」が使われている。「ドバト(土鳩)」という語が登場するのは江戸時代である。日本語のカワラバト・家鳩・塔鳩・堂鳩・土鳩・ドバトという言葉の間の線引きは曖昧である。「ドバト害防除に関する基礎的研究」(山階鳥類研究所)は、 広義の「ドバト」はカワラバト(Colombo livia var domestica) の飼養品種の総称であるとしている[3]。また、「家禽化された」カワラバトのうち「再野生化」した個体 (feral pigeon) を狭義のドバトとする場合もある[3][4]。なお、『日本鳥類目録 改訂第7版』[5]の表記は「カワラバト(ドバト)」である。


本項では原則として呼称をカワラバトに統一する。



形態・生態




カワラバトのスケッチ


全長は30 - 35 cm。首は短く胸が俗に言う鳩胸のごとく盛り上がっている。「クックー」「ゴロッポ、ゴロッポ」「ウーウー」等鳴く。主翼10枚副翼10枚尾翼12枚が基本。換羽期[6]は6〜10月で、主翼と尾翼は全て、副翼は毎年一枚が翼端へ向かって、一枚ずつ順番に抜け替わる。このため、年齢は副翼を見ると推定できる。羽色は栗・栗ゴマ・灰・灰ゴマ・黒・黒ゴマ・白・白黒・モザイク・グリズル・バイオレット・ブラチナ・赤・緑・黄色・橙など多彩である。栗二引きと呼ばれる色彩パターンがカワラバトの祖先の一般的な羽装であると考えられている[7]。また、首周辺の羽に構造色を持ち、角度により緑あるいは紫に変わるように見える[8]。一方、キジバトは羽のウロコ模様が特徴的であり、本種との識別は容易である。


基本的に草食性であるが、昆虫なども食べることがある[10]。種子・穀物・果実・漿果等植物性のものが主食である。


通常2個の卵を産む[11]。孵化までは16 - 20日で、育雛期間は28 - 35日程度[12]。他の鳩類と同じく親鳥は蛋白質に富んだピジョンミルクと呼ばれるミルク状の乳を口移しに雛に与える[13]。親鳥は育雛をしている最中に次の産卵をすることもあり、時に育雛と抱卵を同時期に行う[14]。このため年間5、6回の繁殖が可能である。この繁殖能力の高さと、天敵である猛禽類の減少が個体数増加の原因となっていたが、近年ではワシントン条約による絶滅危惧種として厚く保護された猛禽類が、カラスほどではないにせよ都市部でも目撃されており、カワラバトを含め野鳥を捕食することが都内競翔家[誰?]から報告されている。この淘汰圧力が都心の鳩の黒化現象の原因ではないかと述べる関係者もいる[誰?]。因果関係が完全に証明された訳ではないが、猛禽類は黒いカラスを襲わないため、カワラバトも黒い個体が多く生き残った結果だという。野生種のカワラバトは本来、岸壁の割れ目などの高い場所に営巣していた鳥なのでその習性から市街地においてはマンション等の人工建造物が営巣場所となることもあり、糞害が問題になることがある。




分布


ユーラシア大陸、ヨーロッパを中心に留鳥として世界的に広く分布する。日本では、北海道を含む全土で普通に見ることができる。しかし、日本の在来種ではないと考えられている。日本にいつ渡来したかは定かではないが、一説には飛鳥時代、残存する記録では平安時代に「いへばと(鴿)」の語が見られ、「やまばと(鳩)」とは区別されていた。従って、今から1000年以上前に、すでに身近に存在していたものと考えられる。


特に都市部を中心に非常に多く見られる鳥で、その数は増え続けている[要出典]。長らく人間と関わってきた本種は、人間にとても密接した鳥で、工業地面積が増えると出現率は上がり、森林面積が増えると低下することがわかっている[要出典]



保全状況評価



  • LEAST CONCERN (IUCN Red List Ver. 3.1 (2001))[1]
    Status iucn3.1 LC.svg



能力






カワラバトは体内時計や太陽コンパス・目の瞬膜の偏光作用などを使って、方向判定と位置測定を行っていると考えられている。この他に地磁気を鋭敏に感知できる生体磁石の能力も持っているといわれており、研究対象になっている。ある研究によれば、嘴の皮膚内に磁鉄鉱を含む微粒子が局在しており、これが磁場の変化を感知する上で重要な役割を果たしている可能性があるという[15]。カワラバトから長年にわたり品種改良された伝書鳩を使って行われる鳩レースでは分速や帰還率が評価されるが、これらは天候のほか太陽風や黒点活動、磁気嵐の影響を受けるといわれる。


訓練されたカワラバトは、初めて見る絵の上手い下手を判別したり、クラシック音楽と現代音楽を聞き分けることでも知られている。
このため認知科学の実験に応用されることがある。


鳥類には嗅覚が殆どない、又は、あっても重要性は低いと1950年代頃までずっと考えられてきた。しかし、近年、さまざまな科学的実験によって、通説は覆りつつある。中でもカワラバトの場合、地磁気と視覚と嗅覚が複合的に神経連動されている点がクローズアップされている。カワラバトは、上記の磁気データにあわせ視覚的データ、そして、嗅覚のデータを脳で統合し、あたかもひとつの感覚として感じとり、飛行した地形図として記憶している可能性が高いことが明らかになりつつある。





人間との関わり


カワラバトは通信手段として先史時代から家禽化されてきたと考えられる。紀元前3000年頃のエジプトでも伝書鳩を利用していた記録が残っている。
これ以外に肉や卵を食料にするため、中東などでは崖のくぼみなどに住み着く性質を利用し、内部がうつろで壁に数か所穴がある搭のようなものを作り、そこに鳩を集める[16]ことがあり、古代ユダヤではヘロデ王がこれを建設させたので、こうした鳩を「ヘロデの鳩」とミシュナーの中で呼んでいた[17]


また、その帰巣性の高さから軍隊での通信手段としても盛んに用いられてきた。イギリス軍は第一次世界大戦で約10万羽、第二次世界大戦に至っては50万羽以上もの軍用鳩を用いた。戦闘で大火傷を負いながらも友軍に辿り着き、勲章を授けられたものさえ存在した。



日本のカワラバトの歴史


日本では主に愛玩動物として飼育されていたと考えられるが[独自研究?]、カワラバトが渡来したのは今から1500年程前(飛鳥時代)であったと考えられる。カワラバトは古来より八百万神のお使い神と神社で尊ばれ、殺生はご法度、同じく仏閣でも古から魚・鳥等を野に放すことである放生会やエサやりが生類を哀れむ功徳とされ、その対象として長年保護され親しまれてきた。「鳩に三枝の礼あり(仔鳩が親の恩を感じ三つ下の枝に止まる故事より、礼儀を重んじることの重要性)」「鳩に豆鉄砲=鳩が豆鉄砲を食ったよう(突然の出来事に呆気にとられる様子)」「鳩を憎み豆を作らぬ(些細なことに拘って肝心なことが疎かになる愚かしさや弊害)」等、昔からの諺でもお馴染みである。


江戸時代、1783年(天明3年)に大阪の相場師・相模屋又市が投機目的のため米相場の情報伝達にカワラバトを利用したとされ、処罰されたという記録が残っている。また、ほぼ同時期の本[18]にカワラバトの帰巣性について「鴿は主人の家を能覚へ居者ゆへ遠方に行くといへとも放つときは必其家に還る」(いえばとは主人の家をよく覚えているもので、遠方に連れて行っても放されると必ずその家に帰還する)の記述が見られる。


幕末に神奈川に滞在したアメリカの宣教師マーガレット・バラは著書「古き日本の瞥見」の中で、1862年の手紙に神奈川の寺にはカワラバトが多く住んでおり、寺の外だけでなく寺の中にまで住んでいることを記載している。さらにカワラバトに与えるための餌を紙袋に入れて売る売店があることも記載している。このことから、江戸時代には既に庶民がハトに餌をやる慣習があったことがわかる。


明治時代以降、カワラバトから長年にわたって品種改良された伝書鳩が欧米より輸入され、新聞社などで利用された。また軍部でも日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦から本格的に伝書鳩の研究を開始し、第二次世界大戦では多くの伝書鳩が使われた。


戦後復興期には、伝書鳩を使った鳩レースを行うための協会が設立された。


高度成長時代には伝書鳩の飼育が若年層を中心としてブームとなった。1964年に開催された東京オリンピックの開会式では、セレモニーの一部として伝書鳩達の空に舞い上がる姿が華々しくカラーテレビ中継され、前年開通した衛星中継により世界中に配信された。1969年にピークを迎える飼鳩ブームの火付け役となった出来事と伝えられている。


しかし、1970年代も後半になるとブームは収束し、伝書鳩の飼育数は減少に転じた。以降、漸減傾向が続いている。


カワラバトはその他にも、海難犠牲者を発見させる訓練などが行われている。



カワラバトによる被害


歴史的建造物の汚損などが深刻な問題になることがある。尿(糞の白い部分)は、金属の腐食を促進させる作用がある。またカビの一種であるクリプトコッカス・ネオホルマンスが堆積した糞の中で繁殖し、HIV感染者や臓器移植手術のため免疫抑制剤の投与によって免疫力の落ちた人間が吸い込むとクリプトコッカス症にかかる症例が報告されている[19]。そのほかダニなどがいることがあり、人間も被害を受けることがある。さらに、港湾や田畑の食害、工業生産施設における糞が問題になることがある。また、公園、駅、商業施設などで糞による苦情が寄せられることがある。こうした場所では注意書きを掲示したり、後述するような防止策がとられるが、被害を完全に食い止めるには至っていない。


糞害に対する研究を行った金沢大学の廣瀬幸雄教授が2003年にこの研究結果に対しイグ・ノーベル賞を受賞した。砒素を含む金属合金には、カワラバトが群れないという[20]



防止策








ロンドンのウェストミンスター地区にある餌付けを禁止する看板



  • 目玉模様の風船をぶら下げたりすることがよく行われる。


  • 磁気を嫌う性質から磁石を設置することも行われる。

  • カワラバトが集まるところ、営巣しそうなところに針山を設置する。磁石付の針山もよく使われる。


  • 網や柵、板などを張って物理的に遮断する方法もしばしば行われる。ただし日本ではかすみ網は禁止されている。

  • 木酢酸などの刺激臭のある香料を主体にした忌避剤スプレーも市販されている。

  • エアガン等で殺傷したり、卵の撤去、育雛の妨害等は、動物愛護法並びに改正鳥獣保護法において、引き続き原則禁止、違法となるので注意が必要である。


一番効果的な方法は物理的にカワラバトを遮断することである。



餌やりの問題




カワラバトに餌を与えるイギリス人たち


カワラバトは人に馴れやすく、群れで繁殖する鳥である。このため古くから公園などで鳩に餌を与えることが当たり前のように行われている。繁殖能力が高い鳩は栄養状態に恵まれると年に幾度も繁殖を繰り返し増加し続ける。このため、近年では鳩に餌を与えることを防止するよう呼びかけている地域もあり、荒川区など一部自治体では条例で禁止している。広島市では餌やりの自粛を呼びかけることにより、平和記念公園内の個体数を4分の1にまで減少させることに成功している[21]


その一方で農薬入りの餌を与えられたと疑われる50羽近いカワラバトの大量死事件が2006年4月に東京都世田谷区の芦花公園で発生し、鳥獣保護法違反の疑いで警視庁成城署が犯人を捜査中と報じられている。





脚注



注釈




  1. ^ abBirdLife International (2012年). "Columba livia". IUCN Red List of Threatened Species. Version 3.1. International Union for Conservation of Nature. Retrieved 2016年5月18日..mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    (英語)



  2. ^ Columba livia Gmelin, 1789, ITIS, http://www.itis.gov/servlet/SingleRpt/SingleRpt?search_topic=TSN&search_value=177071 2012年2月7日閲覧。  (英語)

  3. ^ ab ドバト害防除に関する基礎的研究. 山階鳥類研究所. http://www.yamashina.or.jp/test/hp/kenkyu_chosa/dobato/index.html. 


  4. ^ 深瀬徹、エキゾチックアニマルの生物学 (XVII) エキゾチックアニマルに由来する移入生物 (4) 日本獣医師会雑誌 Vol.60 (2007) No.2 P.102-104, doi:10.12935/jvma1951.60.102


  5. ^ 『日本鳥類目録 = Check-list of Japanese birds. 2012』 日本鳥学会(目録編集委員会)編、日本鳥学会、2012年、改訂第7版。
    ISBN 978-4-930975-00-3。



  6. ^ トヤ(鳥屋)とも言う。この時期、ヒキコモリがちになることに由来する。


  7. ^ 遺伝学的に見て、栗二引き説が通説であるが、灰一引き(青灰色に黒の太線が一本)とする有力説も存在する。


  8. ^ 吉岡・木下 (2009), p.621


  9. ^ 中尾 (1984), pp.128-129


  10. ^ 北海道で行われた素嚢・胃内容の分析では、約4.9%がガガンボの幼虫などの動物質であった[9]


  11. ^ “3.3.2 卵について”. ドバト害防除に関する基礎的研究. 財団法人 山階鳥類研究所 (1979年6月). 2017年2月13日閲覧。


  12. ^ “3.3.3 ヒナの成長”. ドバト害防除に関する基礎的研究. 財団法人 山階鳥類研究所 (1979年6月). 2017年2月13日閲覧。


  13. ^ “1.2 ハト類”. ドバト害防除に関する基礎的研究. 財団法人 山階鳥類研究所 (1979年6月). 2017年2月13日閲覧。


  14. ^ “3.3.5 繁殖周期”. ドバト害防除に関する基礎的研究. 財団法人 山階鳥類研究所 (1979年6月). 2017年2月13日閲覧。


  15. ^ Siying Qin et al. (2016). “A magnetic protein biocompass”. Nature Material. doi:10.1038/NMAT4484. 


  16. ^ 餌をやって飼うわけではなく、漁業における漁礁のような物。


  17. ^ E・シェーラー『イエス・キリスト時代のユダヤ民族史II』、古川陽 訳、株式会社教文館、2012年、P20・48。


  18. ^ 小野蘭山述 『本草綱目啓蒙』 小野職孝・岡村春益編、1803年。
    OCLC 30587821。



  19. ^ 横浜市衛生研究所 感染症・疫学情報課 (2012年6月7日). “クリプトコッカス症について”. 疾患別情報. 横浜市. 2012年10月20日閲覧。


  20. ^ “ハトが寄り付かない銅像!?日常の発見が研究に活きる:廣瀬 幸雄氏【イグノーベル賞インタビュー Laugh and Think 第6回】”. 2016年12月閲覧。


  21. ^ 本田博利 (2000). “広島市のはと対策” (PDF). 日本公共政策学会年報 (日本公共政策学会). http://www.ppsa.jp/pdf/journal/pdf2000/2000-01-014.pdf 2016年12月閲覧。. 




出典



  • 中尾 弘志「北海道におけるキジバトおよびドバトの食性とダイズへの加害」、『日本応用動物昆虫学会誌』第28巻第3号、日本応用動物昆虫学会、1984年8月25日、 125-130頁、 NAID 110001113311。

  • 吉岡 伸也、木下 修一「昆虫や鳥の構造色とその多彩な光学効果」、『日本物理學會誌』第64巻第8号、一般社団法人日本物理学会、2009年8月5日、 619-623頁、 NAID 110007360063。



関連項目












  • 伝書鳩

  • 日本の野鳥一覧


  • 鳥類キャリアによるIP - エイプリルフールにRFCで発表された、伝書鳩(文書内にはAvianとあるだけで明確に伝書鳩と定めてはいない)を使って行われるInternet Protocolのデータ通信を記したプロトコル。



外部リンク




  • 一般社団法人日本伝書鳩協会 閲覧:2016-05-18


  • 社団法人 日本鳩レース協会 JAPAN RACING PIGEON ASSOCIATION 閲覧:2016-05-18


  • "Columba livia". National Center for Biotechnology Information (NCBI).
    (英語)


  • Columba livia - Encyclopedia of Life (英語)




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