YKK
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 (株主コミュニティを組成) |
本社所在地 | 日本 〒101-8642 東京都千代田区神田和泉町1番地 YKK80ビル |
設立 | 1943年(昭和18年)6月3日 |
業種 | 非鉄金属 |
法人番号 | 6010001032696 |
事業内容 | ファスニング、建材、ファスニング加工機械及び建材加工機械等の製造・販売 |
代表者 | 代表取締役会長 猿丸雅之 代表取締役社長 大谷裕明 |
資本金 | 119億9,240万500円 (2017年3月31日現在) |
発行済株式総数 | 119万9240.05株 |
売上高 | 連結:6726億44百万円 単独:939億57百万円 (2008年3月期) |
営業利益 | 連結:396億42百万円 単独:31億24百万円 (2008年3月期) |
純利益 | 連結:△69億25百万円 単独:36億24百万円 (2008年3月期) |
純資産 | 連結:4924億24百万円 単独:3,323億82百万円 (2008年3月31日現在) |
総資産 | 連結:8546億94百万円 単独:4605億72百万円 (2008年3月31日現在) |
従業員数 | 連結:3万8399人 単独:3296人 (2008年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | 新日本有限責任監査法人 |
主要株主 | YKK恒友会(従業員持株会) 14.72% (有)吉田興産 14.47% 吉田 忠裕 5.49% (2008年3月31日現在) |
主要子会社 | YKK AP株式会社 100% |
関係する人物 | 吉田忠雄(創業者) |
外部リンク | http://www.ykk.co.jp/ |
特記事項:格付情報 R&I AA- (2017年5月現在) |
YKK株式会社(ワイケイケイ、YKK Corporation)は、東京都千代田区に本社を置く、日本の大手非鉄金属メーカーである。またYKK APは同社グループの建材部門である。
目次
1 概要
2 沿革
3 日本拠点
4 その他
5 関連企業
6 吉田家
7 提供番組
8 脚注・出典
9 関連項目
10 外部リンク
概要
スライドファスナーの生産が有名で、世界シェアの約45%を占める。
社名の由来は旧社名である「吉田工業株式会社(Yoshida Kogyo Kabushikigaisha)」の略称で、Yは創業者の吉田忠雄(富山県魚津市出身)の苗字からきている。
YKKグループの本社機能、およびファスニング事業(Fastening Products)・建材事業(Architectural Products)・工機(Machinery Engineering)の3部門によるグローバル事業経営と世界6極による地域経営を基本としている。富山県黒部市に大規模な生産拠点を置き、世界70カ国/地域122社に拠点を持つ。
沿革
1934年(昭和9年)1月1日 - 吉田忠雄、東京都東日本橋にサンエス商会を設立し、ファスナーの加工・販売を開始。
1938年(昭和13年) - 吉田工業所と改称。
1945年(昭和20年) - 東京大空襲で工場焼失。現在の富山県魚津市に所在していた株式会社魚津鉄工所を買収し、同社の商号を「吉田工業株式会社」に変更。
1946年(昭和21年) - 商標を「YKK」とする。
1950年(昭和25年) - 自動植付機(チェーンマシン)をアメリカから4台のみ輸入。輸入のために日本興業銀行から1200万円の借り入れをした。
同社は、このチェーンマシンと同種の機械を100台、日立精機に1台12万円、支払いは30台ずつの条件で発注。
発注した機械は、1951年(昭和26年)5月に10台、8月に20台、1953年(昭和28年)の7月に100台目が納入された。
つまり、アメリカから輸入した4台と日本でコピーした100台は、それぞれ同じ1200万円であった。
コピーするのは当然の流れであったといえる。
1951年(昭和26年) - 東日本橋から東京都中央区日本橋馬喰町に本社を移転
1958年(昭和33年) - 東京都台東区浅草雷門に本社を移転。- 1958年(昭和33年)10月20日 - 昭和天皇が富山県国体開催に合わせて行幸。黒部工場(現牧野工場)が視察先の一つとなる[1]。
1959年(昭和34年) - ニュージーランドに最初の海外現地法人設立。
1961年(昭和36年) - アルミ建材の製造販売を開始。
1963年(昭和38年) - 東京都千代田区神田和泉町に本社を移転
1985年(昭和60年) - ブラジルで農牧業開始。
1986年(昭和61年) - インドネシアにアルミ建材初の海外一貫生産工場稼働。
1994年(平成6年) - 商号を吉田工業株式会社から「ワイケイケイ株式会社」に変更。
2003年(平成15年) - 建材製造事業本部がYKK AP株式会社に統合し、YKKグループ建材事業の完全一体化。
2007年 9月中間期の連結最終損益が123億9000万円の赤字,欧州委員会の声明によると、メーカー同士で価格引き上げ、最低価格の固定、顧客の配分などを決めていたという。
2011年(平成23年)6月 - 創業以来初の創業家以外の社長が誕生[2]。
2011年(平成23年)9月26日 - 本社ビル建て替えに伴い、本社を秋葉原ダイビルの10階と11階に移転。
2015年 (平成27年) 8月 - 新本社ビルの完成により、秋葉原ダイビルから、東京都千代田区神田和泉町1番地のYKK80ビルおよび同敷地内のYKK和泉ビルに本社を移転。
日本拠点
- 本社(東京都千代田区神田和泉町1番地 YKK80ビル)
- 黒部事業所(富山県黒部市)
- 滑川製造所(富山県滑川市)
- 北海道工場(北海道石狩市)
- 東北事業所(宮城県大崎市)
- 四国事業所(香川県綾歌郡宇多津町)
- 九州事業所(熊本県八代市)
その他
- YKK株式会社創設者(吉田忠雄)死去後、YKKのロゴマークの字体及び色を変更(赤から青へ)。
- 同社株式に対するIPO詐欺事件が発生したため、「YKK株式会社は株式を一切上場していない。今後も上場の予定はない」と公式サイトにて公表している[3]。ただし、かつてはグリーンシートの前身にあたるリージョナル市場に株式を登録していた。現在は富山県在住者に限り島大証券(旧富証券)を通した地場株としてのみ売買が可能である。
- 社員による自社株の購入がYKK恒友会(従業員持株会)を通じて認められている。
富山県民には「吉田チャック」の愛称で呼ばれることがある。[要出典]
関連企業
YKK AP 住宅建材部門(アルミサッシ業界2位)- YKKファスニングプロダクツ販売株式会社
- YKK不動産株式会社
- YKKビジネスサポート株式会社
- 株式会社カフェ・ボンフィーノ - コーヒーの輸入販売
- YKKスナップファスナー株式会社
吉田家
- 吉田忠雄(創業者) - 吉田久松(YKKの設立に貢献した、忠雄の兄弟)
- 吉田忠裕(創業者長男)
- 長女 - 次女 - 吉田朋美(三女)[4] - 四女[5]。
- 吉田忠裕(創業者長男)
提供番組
世界の窓(BS-TBS) - 一社提供
北日本放送制作昼の帯ドラマ - 前期のみ。
ゲンコツの海(北日本放送) - 一社提供。
ビックリ決定版!!(日本テレビ) - 一社提供。
YKKアワー キックボクシング中継(TBS) - 途中より。
ゴールデン洋画劇場(フジテレビ)
クイズ100人に聞きました(TBS) - 開始当初は一社提供番組であり、『YKKファミリーアワー クイズ100人に聞きました』というタイトルだった。
筑紫哲也NEWS23(TBS)- 日本テレビ火曜8時枠時代劇
ニュース・パレード(文化放送)- YKK Sound Galley AZ - (J-WAVE, DJ:加藤和彦)
※現在は、子会社であるYKK APの提供が多い。
脚注・出典
^ 富山県護国神社 『富山県における聖帝四代の御製を拝す 』 富山県護国神社、2012年、p78。
^ asahi.com(朝日新聞社):YKKとYKK APの社長交代 ともに創業家以外から-ビジネス・経済2011年12月23日閲覧
^ YKK株式会社 当社株式に関するご注意 平成23年9月13日付 掲載
^ 北日本新聞 2019年4月5日付28面『ワクワク 統合小学校』より。
^ 黒部発・日本一の“ヤギチーズ職人”は、YKK会長のご令嬢N
関連項目
- 線ファスナー
- YKKファスニングアワード
カターレ富山(YKK APサッカー部とアローズ北陸の統合によって誕生)
東京電力女子サッカー部マリーゼ(旧母体が「YKK AP東北女子サッカー部フラッパーズ」)
外部リンク
- YKK GROUP
ニッポン・ロングセラー考Vol.013 YKKファスナー - COMZINE by NTTコムウェア