三方郡
三方郡(みかたぐん)は、福井県(若狭国)の郡。
人口9,472人、面積152.35km²、人口密度62.2人/km²。(2018年10月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
美浜町(みはまちょう)
目次
1 郡域
2 歴史
2.1 近世以降の沿革
2.2 町村制以降の沿革
2.3 変遷表
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に三方上中郡若狭町の一部(田井・向笠・田名・田上・岩屋・白屋・倉見以北)を加えた区域にあたる。
歴史
近世以降の沿革
明治初年時点で、全域が小浜藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている村は以下の通り。(58村)
- 倉見村、白屋村、成願寺村、上野村、能登野村、横渡村、井崎村、黒田村、田上村、岩屋村、相田村、藤井村、南前川村、北前川村、三方村、田名村、佐古村、向笠村、気山村、大藪村、新金山村、金山村、郷市村、佐野村、興道寺村、松原村、久々子村、早瀬浦、木野村、成出村、田井村、塩坂越浦、小川浦、世久見浦、河原市村、南市村、和田村、麻生村、佐柿村、宮代村、中寺村、安江村、五十谷村、寄戸村、新庄村、坂尻村、山上村、太田村、佐田村、北田村、菅浜村、竹波村、丹生浦、海山村、遊子浦、神子浦、常神浦、日向浦
- 明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により小浜県の管轄となる。
11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により敦賀県の管轄となる。
- 明治7年(1874年) - このころ早瀬浦または日向浦の一部が分立して笹田村となる。(59村)
- 明治8年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により滋賀県の管轄となる。
- 明治12年(1879年)
5月16日 - 郡区町村編制法の滋賀県での施行により、行政区画としての三方郡が発足。郡役所を佐柿村に設置。- このころ新金山村が金山村に合併。(58村)
- 明治14年(1881年)2月7日 - 福井県の管轄となる。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。郡役所の所在地が耳村となる。(7村)
八村 ← 気山村[牧口を除く]、三方村、生倉村[1]、鳥浜村[1]、向笠村、田名村、北前川村、南前川村、藤井村、相田村、佐古村(現・三方上中郡若狭町)
十村 ← 田上村、黒田村、井崎村、岩屋村、横渡村、能登野村、上野村、成願寺村、倉見村、白屋村(現・三方上中郡若狭町)
田井村 ← 海山村、世久見浦、田井村、成出村(現・三方上中郡若狭町)
西浦村 ← 常神浦、神子浦、小川浦、遊子浦、塩坂越浦(現・三方上中郡若狭町)
西郷村 ← 気山村[牧口]、大藪村、金山村、郷市村、松原村、久々子村、早瀬浦、笹田村、日向浦(現・美浜町)
耳村 ← 佐柿村、木野村、和田村、河原市村、麻生村、南市村、中寺村、宮代村、安江村、五十谷村、寄戸村、新庄村、佐野村、興道寺村(現・美浜町)
山東村 ← 坂尻村、山上村、太田村、佐田村、北田村、菅浜村、竹波村、丹生浦(現・美浜町)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治31年(1898年)4月1日 - 西郷村の一部(早瀬・笹田・日向)が分立して北西郷村が発足。西郷村の残部が改称して南西郷村となる。(8村)
- 明治40年(1907年)8月1日 - 田井村・西浦村が合併して西田村が発足。(7村)
大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は250.17平方km、人口は22,193人(男10,949人・女11,244人)[2]。- 昭和28年(1953年)4月1日 - 八村・西田村が合併して三方町が発足。(1町5村)
- 昭和29年(1954年)
2月11日 - 南西郷村・北西郷村・耳村・山東村が合併して美浜町が発足。(2町1村)
3月1日 - 十村が三方町に編入。(2町)
平成17年(2005年)3月31日 - 三方町が遠敷郡上中町と合併して三方上中郡若狭町が発足し、郡より離脱。(1町)
変遷表
詳細は「嶺南#沿革」を参照
脚注
- ^ ab三方村のうち。本項では村数に数えない。
^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。
参考文献
角川日本地名大辞典 18 福井県- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
- 嶺南
- 美方郡
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