誤植
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誤植(ごしょく)とは、印刷物における文字や数字、記号などの誤りのこと。ミスプリント(ミスプリ)、ミスタイプ(mistype)とも言う。
特に、企業名・商標・人名を始めとする固有名詞や、数字の位取りの誤植が起こると、大問題となる。
もともとは活版印刷や写真植字で間違った活字を植字してしまうことを指したが、転じて印刷物全般やウェブサイト上の誤字や脱字についても「誤植」と呼ばれることがある。
目次
1 概要
2 原因
2.1 出版プロセスにおいて、編集者、植字工などが文章を複写することによる伝達ミス
2.2 原稿の筆者の思い込みや知識不足、独特な用字などによって誤った字を用いてしまうミス
2.3 原稿書きの段階でも、その後の出版までのプロセスの間でも起こりうるミス
2.4 活版印刷特有の原因
3 誤植の歴史
4 さまざまな分野での誤植
4.1 聖書の誤植
4.2 日本の法令の誤植
4.3 雑誌の誤植
4.4 新聞の誤植
4.5 広告の誤植
4.6 輸入製品に見られる誤植
5 定着した誤植
6 誤植を題材とした小説
7 脚注
7.1 注釈
7.2 出典
8 関連項目
概要
当初の誤植とは、「植字の誤り」つまり活版印刷での印刷過程である組み版時のミスであり、植字工がおこす活字の組み間違いだった。活字の欠落、酷い場合には単語そのものの欠落や、活字の配置間違い(例えば"cat"を"act"等)は目立つミスであるが、文字サイズが9ポイントで指定されているのに、8ポイントや10ポイントのものが紛れ込んでしまう、ポイント間違いも含まれる。ただし、電算植字やDTPの普及発達によって、「誤植」の起こる組み版そのものが行われなくなっている。
手書きの文書の誤りは「誤記」と言う。「誤植」は主に活版や写植などの大量印刷物の表記の誤りを指す言葉であり、文書処理ソフト上における綴り誤りはその誤り方によって「ミスタイプ」や「誤変換」という。しかし、インターネットの普及によって、ブログなど書いたものが直接公開されるものが一般化し、出版形態も印刷一辺倒でなくなった事もあって、誤記と誤植の差は、無くなりつつある。
「誤植」はあくまでも「表記の誤り」のことを指す。例えば「日本は米国より面積が広い」という文は事実に反するが、(「日本」と「米国」を逆に植字してしまったり、本来は「狭い」とすべきところを誤って「広い」と植字してしまったなどの理由でなければ)これは誤謬であって誤植にはあたらない。そのような、文の内容に踏み込んで誤りを正す作業は「校閲」という。
しかし、今日では上記のような内容の間違いによる誤謬、ミスタイプ、誤変換なども全て一律に「誤植」と呼ばれるようになっている[注 1]が、言葉としては誤り[注 2]であり、誤用の定着の一例と言える。本来ならば、誤記、誤謬等、使い分けられるべきものが、誤植と一纏めにされるようになった経緯は、不明である。
誤植とは、本来意図した表現の一部が別の字に置き換わってしまう誤りである。大抵は気づけば元の表現に復元できるが、場合によっては深刻な誤解を生むこともある。例えば、薬学の本で薬の量や、単位、種類を誤れば生命に直接関わる。百科事典や辞書などで間違いがあれば間違った知識が流布してしまう危険がある。同様に、小売店が商品の値段を書き間違えた場合には損を承知でその値段で売らざるを得なくなる事態も起きる。電子化された領域では、ヒューマンエラーやデータの破損などでこのような事態が発生することが考えられる。実際、一時期オンライン販売業界の界隈では価格の登録ミスによるトラブルが度々表面化し、幾つかの業者が損害を発生させたことから、現在では大半のオンライン販売サイトで、価格の誤表示については遡って無効とできる旨あらかじめ断り書きを販売規約に入れておくなど何らかの対処がされている。
本来、誤植は編集作業の過程で「校正」によって正されるべきものである。校正は軽視されがちだが、誤植の有無は出版物や出版社の質を計る指針にもなりうる。校正が不十分だと刊行後にも誤植が残ることが多い。このため、論語子罕第九の「後生可畏」の句をもじって「校正畏るべし」の警句がしばしば言われる。逆に校正者の思い込みによって正しい表現に間違った修正がなされることも起こり得るが、表現に関して直接修正することは、校正者権限の逸脱であり最も忌避される[注 3]。表現修正に踏み込む場合は、正誤確認のお伺いを立てて、著者や編集者に確認を取るに止まる。ただし、近年に多い編集者が校正も兼ねている場合や、著者校に回す時間のない新聞などは別である[注 4]。
刊行後に誤植が大量に判明した場合や緊急の場合には、修正箇所をまとめた正誤表が改版前に出されることもある。その正誤表や、正誤表の発行後にも刊行物でさらに誤植が発見される例もある。
原因
これらの誤植・誤記のほとんどは校正者によって校正されることが期待されているが、中には校正をすり抜けてしまうものもある。
出版プロセスにおいて、編集者、植字工などが文章を複写することによる伝達ミス
狭義の「誤植」である。
- 手書き原稿の読み間違い。その字形や単語が他の字と似ていたり、手書きの字が汚かったり判読が難しいがために発生する。
(例:『墓』地と『基』地、あるいは「『陛』下」を「『階』下」「『陸』下」などと誤植するのはこの例である。
- 編集者や校正者が誤字と思って訂正したが、誤字ではなく筆者の意図どおりだった場合。誤謬したわけではないので「誤」植とは言えないという意見もある[2]。
(例:「ライ症候群→ハンセン病」「『ニコ』チン」、「家『裁』の人」)
- 人間だけでなく、機械によるOCR(光学文字認識)でもこの種の認識ミスが発生し得る。
原稿の筆者の思い込みや知識不足、独特な用字などによって誤った字を用いてしまうミス
広義の「誤植」である。
いくつかの例として、
四つ仮名(例:ラ『ヂ』オプレス、ブリ『ヂ』ストン、松本かつ『ぢ』、味の素ゼネラルフー『ヅ』)
旧かな(例:あら『ゐ』けいいち、わかぎ『ゑ』ふ、『ヱ』ビスビール、ア『ヲ』ハタ、さいとう・たか『を』)
踊り字(例:いす『ゞ』自動車)
捨て仮名の不使用(例:富士フ『イ』ルム、キ『ヤ』ノン、オンキ『ヨ』ー、キャリ『イ』
同字異音の語(例:日本の地名「川内」は愛媛県東温市や青森県むつ市だと「かわうち」、鹿児島県薩摩川内市だと「せんだい」となる)の振り仮名の誤植やルビ校正は、特に注意する点でもある。- カタカナと平仮名の混同(例:「丸『の』内線」)
原稿書きの段階でも、その後の出版までのプロセスの間でも起こりうるミス
- 誤変換。同音異義語によって起こる場合と区切りによって起こる場合の両方がある。手書き原稿の場合でも、現在では手書き原稿から直接文選はされず、最初に電子化されるため、誤変換による誤植は発生しうる[3]。
(例:「偏在」と「遍在」、「競演」と「共演」、「対称」と「対照」と「対象」、「開放」と「解放」、「異議」と「異義」と「意義」、「体制」と「体勢」と「態勢」など)。
熟語に同じ漢字や似た漢字が使われる場合、意味が似通っている場合などに特に見落とされがちになる。
- 文書データの文字化け。校了後にも起こりうる[4]。
活版印刷特有の原因
- 活字の入れ間違い。使った活字をケースに戻すとき入れ間違ったため、次から使うときに誤植となる[5]。
誤植の歴史
「誤書」は写本の時代からあったが、誤植の歴史は活版印刷の歴史と同時に始まった。ヨハネス・グーテンベルクの印刷した『グーテンベルク聖書』は西洋ではじめての本格的な活版印刷物とみなされ、出版史における不滅の金字塔であるが、その中にも多数の誤植がある。42行聖書はたびたび紙数の都合で行数を変更しており、組版の組み替えなどによる多数の混乱が生じていた。そのため、この聖書の研究では、誤植と訂正の状況を追う研究が一分野をなしている。
洋の東西を問わず、王室や政府、政教分離が成されていない国における宗教書にまつわる誤植では厳しい措置が取られることが多く、キリスト教の聖書絡みのものでも後述するようなものが知られているが、戦前の日本でも、皇室がらみの記事で誤植があると「不敬」として厳しく処罰された。1942年、富田常雄作『軍神杉本中佐』で「天皇陛下」を「天皇階下」と誤植した童話春秋社はこのために出版停止の憂き目に遭った。その対策として、ある新聞社では「天皇陛下」の四字を一つにまとめた特注の活字も製作されたという。
誤植の形態も、時代や技術革新によって変化している。出版物が活版印刷中心の時代には、版の組立時の似た活字の取り違えが多かったが、20世紀後半に文章執筆がワードプロセッサもしくはワープロソフトなどによるものが主流になってからは、かな・漢字変換の際の誤変換や単漢字辞書検索での選択ミスなどによる、同音異義語や似た読みの取り違えが増加した。OCRスキャナによる文書読み取りでは、しばしば形状が似た字の読み違えが生じる。またその他に、文字コードの外字領域などが僅かに異なる環境で文書の作成とDTP編集を別々に行って印刷に出したところ、それらの文字が別の文字に置き換わってしまう場合、また誤って1バイト文字と2バイト文字を混用した場合(例: 51個、appleなど)、同一でなければならない文書内のフォントサイズや種類を誤って混用した場合などにも、誤植が発生する原因になる。
さまざまな分野での誤植
聖書の誤植
グーテンベルク聖書から始まった近代出版史は、誤植の歴史でもある。聖書には誤植史上記念碑的なものが多々ある[6][7]。
- 姦淫聖書
1631年に英国で印刷業者ロバート・バーカーによって印刷された欽定訳聖書は、のちに The Wicked Bible 、すなわち「姦淫聖書(邪悪聖書)」と呼ばれた。それは出エジプト記におけるモーセの十戒の第七条、"Thou shalt not commit adultery" (汝姦淫するなかれ)から、否定の not が抜け落ちたために、「汝姦淫すべし」となり、神が人々に姦淫を勧める聖書となってしまったからである。このためバーカーは高額の罰金を科されるも、支払えずに投獄されて獄死し、聖書は回収された。しかし密かに隠して取っておいた者が何人もいて、現在も世界に11部残されているそうである。- 馬鹿者聖書
1763年の欽定訳聖書では、詩編の"the fool hath said in his heart there is no God"(愚かな者は心のうちに神はないと言う)という一節を、no を落として"there is a God"(神はある)と誤植し、キリスト教徒で信仰の厚い者こそが馬鹿で悪である、という趣旨になった。印刷者には高額の罰金が科され、問題の聖書は回収された。
1580年にドイツで刊行された聖書では、出版屋の妻がひそかに印刷所に忍び入り、創世記の"Und er soll dein Herr sein."(彼は爾の主たるべし)とあるところを、勝手に活字を組み替えて"Und er soll dein Narr sein."(「彼は爾の馬鹿者たるべし」)とした。この聖書は、ヴォルフェンビュッテルのアウグスト大公図書館に所蔵されている。- 酢の聖書
1717年刊行のクラレンドン・プレス版の聖書は、ルカ福音書第20章の表題を、"the Parable of the Vineyard"(葡萄畑の寓話)とすべきところを、"the Parable of the Vinegar"(酢の寓話)と誤植したため、「酢の聖書」と呼ばれている。
日本の法令の誤植
日本の法令の公布その他公示手続きは、判例上、「特に国家がこれに代わる他の適当な方法をもつて法令の公布を行うものであることが明らかな場合でない限りは、法令の公布は従前通り、官報をもつてせられるものと解するのが相当で」[8]あるとされているが、官報にも誤植が散見される。官報の誤植には、大別して「原稿誤り」及び「印刷誤り」の二種類が存在する。原稿誤りとは、主に、国の機関から独立行政法人国立印刷局に対して官報への掲載を依頼する際に、国の機関から送付される原稿に誤りがある場合を指す。原稿誤りが発見された場合、掲載を依頼した国の機関が、国立印刷局に対して職権により正誤欄への掲載を依頼することとなる。対して印刷誤りは、原稿に誤りはなく、国立印刷局が官報を印刷する際に誤りが生じた場合を指す。印刷誤りの場合、国立印刷局または掲載を依頼した国の機関が正誤の手続きを行うこととなる。
官報の誤植には、掲載されている法令の効力に重大な影響を及ぼす可能性がある。1948年に起きた食糧管理法違反事件では、1947年12月30日に公示された農林省告示で、本来「いんげん」(改正前の告示におけるテボーに相当する)と記載するべきところが、農林省の原稿誤りにより、「ナタマメ」と誤記したことが問題となった。1948年4月7日に農林事務官(国の機関である農林省の事務系職員)名義で官報に正誤を掲載することとなった。日本の法令では、前述のとおり官報によって公布されることとなっており、また、法令の効力について、判例は、「成文の法令が一般的に国民に対し現実にその拘束力を発動する(施行せられる)ためには、その法令の内容が一般国民の知りうべき状態に置かれることが前提要件とせられる」[9]としていることから、本件では、官報正誤による法令の効力及び官報正誤以前の法令の効力について問題とされた。本件について最高裁判所は、「官報に公示するがごとき公示手続上の過誤は、農林事務官においてこれが正誤の手続を執ることは当然その権限内にあるものと解するを相当とするから、前示正誤は正当であつて、少くとも官報正誤の日以後における本件「テボー」の輸送委託をした行為にはその正誤された告示が適用されるものといわなければならない」[10]とし、官報正誤による法令の効力について、少なくとも官報正誤の日以後については正誤された告示が適用されると判示している。さらに最高裁判所より差し戻された本件における札幌高等裁判所判決では、「公布せられた告示に誤があつて、その誤であることが外部から容易に認識し得るときは、その誤を正して解釈すべきであるから、正誤の有無に拘らず、その告示ははじめから正しく解釈せられたところに従つて効力を有するといはねばならないが、その誤が外部から容易に認識し得るものでないときは、後に正誤せられるまではその誤つている部分は国民を拘束する力がなく、正誤せられた後にその時からはじめて正誤せられたところに待つて効力を生下ると解するのが相当である」[11]とし、本件について官報正誤以前に行われた公訴事実については無罪としている。
雑誌の誤植
- 『中央公論』幸田露伴「佐佐木氏の如き歌」
- 『中央公論』1905年(明治38年)1月1日号に掲載された幸田露伴の評論「文芸の批評家と一般士女との関係」(のち「批評」と改題)内で、「歌人にして歌学者たる佐佐木氏の解する能はずといふが如き歌」が「歌人にして歌学者たる佐佐木氏の如き歌は今猶行はるゝにあらずや。」と誤植された。ここは流行に阿った芸術の悪い例が列挙された部分だが、数字の脱字により「佐佐木氏でもわからないような歌」とするつもりが、「佐佐木氏のような歌」となり、また、この直前の4項目が「~にあらずや」で連続しているため、この文もそのような形に誤植された。これにより、露伴の親友でもあった佐佐木信綱(佐佐木氏)を非難する文となっている[12]。
- この件で、露伴は信綱に謝罪の書簡を送り(信綱からの書簡と共に内容は伝わっていない)、その一方で、内容確認のために編集部に原稿の返却を求めたが、原稿は紛失されていた。露伴は再度、信綱に書簡を送り(岩波書店『露伴全集』書簡集に186として収載)、編集部に訂正方を申し入れ、2月1日号の「前号正誤」に訂正と謝罪とが掲載された。いっぽう信綱は、露伴からの書簡に添えたメモで「つまらぬ事」と評しており、気にはしていなかったようである[12]。
- 『週刊SPA!』大正洗脳事件
1989年(平成元年)2月2日発売の週刊誌『週刊SPA!』2月9日号の記事中、「大正天皇」を「大正洗脳」と誤植した箇所があると判明。発行元の扶桑社は同号を発売中止とし、併せて既に発送した分を回収した[13][14]。- 『女性セブン』幻の皇大子
- 『女性セブン』(2004年12月23日号)は2004年(平成16年)12月9日発売予定だったが、皇室記事の見出しで「皇太子」が「皇大子」となっていたことに印刷作業の途中で気付き、急遽刷り直すことになったため、発売が12月13日に延期された[15]。
新聞の誤植
新聞は、日刊という形態と時事を扱うスタイルから、入稿から印刷までが非常に短く、校正する時間も限られるために漫画、雑誌より誤植が出やすい。後日に訂正欄もしくは訂正記事によって訂正されることが多い。誤報#単純なミスも参照。
- 「無能無智ロシア皇帝」事件
1899年(明治32年)5月24日、読売新聞がロシア皇帝について書いた社説の中に「全能全智と称せられる露国皇帝」とすべきところを「無能無智」としてしまった。「全」と「無」は楷書では似ていないが、崩し字が文選で読み間違えられた[16]。同新聞社は、即日「謹んで天下に謝す」と題した訂正の号外を配布し、ロシア帝国公使館に単なる誤植である旨を説明して事なきを得た。- 「岡田首相退任」事件
2010年(平成22年)7月1日 デーリー東北の朝刊で「岡田監督 退任の意向」とすべき内容を、「岡田首相」と誤って記者が入力し印刷され、40分後に印刷部員の指摘によって「岡田監督」に修正し、印刷し直すことになったが、すでに新聞販売店への発送が始まっていたので、発行部数10万5000部のうち、およそ半分の5万部は誤った紙面のまま配布された。翌日訂正がなされた[17]。当時の政治家に岡田克也がいたが、岡田克也は首相になったことがない。また実在の「岡田首相」であった岡田啓介は昭和時代初期の総理大臣である。- 「温家室」事件
2010年12月30日付の人民日報で中国の温家宝首相を「温家室」と誤植。担当者は解雇も含め厳しい処分が予想されていたが[18]、その後、人民日報編集部の関係者が口頭反省で済んだと報道された[19]。- 習近平にまつわる誤植事件
2015年末から2016年にかけ、中国共産党中央委員会総書記・習近平にまつわるいくつの誤植事件が発生した。2015年11月6日、江蘇省無錫市の地元紙・無錫日報で「習近平越南訪問」を「習近年越南訪問」と誤植[20]。同12月4日、中国新聞社は報道で、「習近平致辞(習近平の講話)」を「習近平辞職(習近平が辞職)」と誤植[21]。2016年3月13日、新華社のウェブサイトで「中国最高の指導者習近平」を「中国最後の指導者習近平」と誤植[22]。同4月21日、香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは「Xu died last year(徐才厚が昨年死亡した)」を「Xi died last year(習近平が昨年死亡した)」と誤植[23]。同4月22日・23日、人民日報などの中国共産党系メディアは「習近平総書記」を「新加坡総書記」と誤植[24]。同7月1日、騰訊のニュースサイトが「習近平発表重要講話(習近平が重要な講話を発表した)」を「習近平発飆重要講話(「発飆」とは「ひどく怒る・発狂」の意味)」と誤植[25]。
広告の誤植
広告においては特に商品やサービスの価格などの数値を誤植した場合にトラブルの元となりやすい。
輸入製品に見られる誤植
輸入商品、特に説明書の印刷を中国など海外の業者に委託した際には誤植が少なからず見られる。
これは言語の壁そのものもさることながら、日本語の記述面での特異性(日本語で使用される文字には「さ」と「き」と「ち」のように形が似た文字、果ては時として「へ(ひらがな)」と「ヘ(カタカナ)」、「ニ(カタカナの"に")」と「二(漢数字の"2")」のように音まで同じ文字すらある=そもそもミスが起こりやすいこと、日本人以外にはカタカナの細かい差異を区別することが難しいこと、「漢字カナ(かな)交じり文」という3種類、そこにアルファベットまで入れると4種類の系統の言語(文字)を混在させて使用する文章など)、つまり日本語は記述が難しい言語であることも関係していると見られる。
定着した誤植
誤植が正規の表現に替わって定着する場合もある。
1968年『月刊漫画ガロ』(青林堂)に掲載されたつげ義春の漫画『ねじ式』に、主人公の少年が海でメメクラゲに腕を噛まれ、血管が露出するシーンがある。この「メメクラゲ」は、本来は「××クラゲ」という伏字表現になっていたが、編集者も写植屋も誤読したために「メメクラゲ」と印刷された。原稿を読んだ青林堂の編集者高野慎三は、この奇怪な作品に「メメクラゲ」という名称の生物はごく自然と思い込み、特に確認することなく写植へと回し、翌日打ち上がった写植もメメクラゲとなっていた。このとき同僚の一人も「メメクラゲとは実に異様ですね」と言い、高野も「さすがつげさんだね」と応じたという。後日、つげは高野に対し「メメクラゲのほうが作品に合っているような気がするね」と言ったという[26]。
ゴキブリは、かつては「御器齧り(ゴキカブリ)」等と呼ばれていた。しかし、1884年(明治17年)に岩川友太郎が書いた日本初の生物学用語集『生物學語彙』では、最初の記述には「ゴキカブリ」とルビが振られていたものの、2か所目には「ゴキブリ」と書かれ、一文字抜けていた。この本は初版しか発行されず、間違いを訂正することができなかった。その後1889年(明治22年)に作られた『中等教育動物学教科書』にも「ゴキブリ」と記述されてしまい、この間違いは、以降の教科書や図鑑にも引き継がれてほとんど全ての文献に「ゴキブリ」と書かれ、和名として定着した。なお『東京朝日新聞』では、1927年(昭和2年)の記事[27]を最後に「ゴキカブリ」の表記は使われなくなっている[28]。
長野県歌「信濃の国」の5番で、仁科五郎盛信が仁科五郎信盛と歌われているが、歌詞を訂正しないまま長野県の歌としてそのまま歌い継がれている。ただし、仁科盛信は晩年に「信盛」と改名していた可能性が指摘されている[29]。
寺田寅彦の俳句「粟一粒秋三界を蔵しけり」は、岩波書店の寺田寅彦全集で「栗一粒秋三界を蔵しけり」(アワ→クリ)と誤植されたが、こちらの誤植バージョンが有名で、「栗の句」の代表作として知られている[30]。
誤植を題材とした小説
佐野洋の推理小説「一本の鉛」ISBN 4-04-131201-9 は、誤植が題材の推理小説。「一本の鉛」は活字の意味である。
脚注
注釈
^ 例えば、『VOW』では手書きチラシの誤字(食品トレイを食品ドレイと誤るなど)や写真の間違いまで一括して誤植としており、「誤植にむしばまれて」などのコーナーで扱っている。[1]
^ そもそも植字をしていないので、誤植しようが無い
^ 簡潔に言うと、校正者の職分は、原稿通りに印刷されているかの検査であり、原稿内容には関与しないし、してはならない
^ ただし、新聞社の場合、担当部署は「校閲部」である
出典
^ 宝島編集部『VOW全書3』、宝島社1999
^ 森?外「鸚鵡石(序に代うる対話)」、高橋輝次 編著『増補版 誤植読本』筑摩書房ちくま文庫 2013 pp.176?189(底本 『?外全集26巻』岩波書店 1973年)
^ 大岡信「校正とは交差することと見つけたり」、高橋輝次 編著『増補版 誤植読本』筑摩書房ちくま文庫 2013 pp.96-101(底本 『光のくだもの』小学館 1992年)
^ 高橋輝次「冷や汗をかく編集者」、高橋輝次 編著『増補版 誤植読本』筑摩書房ちくま文庫 2013 pp.86-89
^ 山口誓子「校正の話」、高橋輝次 編著『増補版 誤植読本』筑摩書房ちくま文庫 2013 pp.122-129(底本 『海の庭』第一書房 1942年)
^ S. Freud, "Psychopathology of Everyday Life" 1901 (tr. A. A. Brill, 1914) pp.127f.
^ 小酒井不木. “誤謬の値段”. 2017年5月1日閲覧。(『紙魚』昭和2年1月号)
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^ 最高裁判所昭和30年(れ)第3号昭和32年12月28日大法廷判決、刑集第11巻14号3461頁
^ 最高裁判所昭和25年(あ)第739号昭和25年9月28日第一小法廷判決、刑集第4巻9号1848頁
^ 札幌高等裁判所昭和26年(う)第10号、高等裁判所判例集第4巻7号798頁
- ^ ab十川信介「誤植の憾み 露伴の信綱宛書簡をめぐって」、高橋輝次 編著『増補版 誤植読本』筑摩書房ちくま文庫 2013 pp.212–219(底本 『図書』岩波書店 2009年11月号)
^ 「週刊誌、誤植で回収 扶桑社の『SPA!』」『朝日新聞』1989年2月3日付東京夕刊、14頁。
^ 再来年の天皇退位の報道で心配される“誤植”や“誤用”、NEWSポストセブン、2017年12月11日 16:00。
^ 皇室関連記事で見出しに誤植 「女性セブン」発売延期、asahi.com、2004年12月8日 22:54。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
^ 外山滋比古「校正畏るべし」、高橋輝次 編著『増補版 誤植読本』筑摩書房ちくま文庫 2013 pp.12–15(底本 『ことばの四季』中公文庫 1989)
^ 「岡田首相退任の意向」と1面掲載 デーリー東北お詫びして訂正
^ 人民日報、温家「室」首相と誤植 関係者に厳しい処分か
^ 溫家寶變溫家「室」 人民日報誤植未遭懲處
^ 无锡日报头版惊现“习近年”
^ 中新社誤報習近平「辭職」中國媒體全部跟著錯
^ 新華社が「中国最後の指導者習近平」と報道
^ 香港英字紙、習近平主席「死去」と誤報
^ 中国官媒又出错!习近平变「新加坡总书记」
^ 誤植習近平「發飆」 騰訊被查
^ 写植を行った編集者、権藤晋の回想から 「『ねじ式』夜話―つげ義春とその周辺」喇嘛舎、1992年
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^ 丸島和洋「武田勝頼と一門」『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年。
^ 坪内稔典「粟か栗か」、高橋輝次 編著『増補版 誤植読本』筑摩書房ちくま文庫 2013 pp.145–147(底本 『産経新聞』朝刊 2012年11月9日号)
関連項目
- 校正
- 正誤表
- 誤変換
- 幽霊文字
草体の近似による誤写 - 書写時の写し間違い。- VOW