南相馬市
みなみそうまし 南相馬市 | |||
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相馬野馬追 | |||
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国 | 日本 | ||
地方 | 東北地方 | ||
都道府県 | 福島県 | ||
団体コード | 07212-5 | ||
法人番号 | 2000020072125 | ||
面積 | 398.58km2 | ||
総人口 | 54,455人 [編集] (推計人口、2018年10月1日) | ||
人口密度 | 137人/km2 | ||
隣接自治体 | 相馬市、 相馬郡飯舘村、双葉郡浪江町 | ||
市の木 | けやき | ||
市の花 | さくら | ||
他のシンボル | 市の鳥:ひばり 市の魚:さけ 市の昆虫:ほたる | ||
南相馬市役所 | |||
市長 | 門馬和夫 | ||
所在地 | 〒975-8686 福島県南相馬市原町区本町二丁目27番地 北緯37度38分31.9秒東経140度57分26.3秒 | ||
外部リンク | 南相馬市 | ||
■ ― 市 / ■ ― 町・村 | |||
ウィキプロジェクト |
南相馬市(みなみそうまし)は、日本の太平洋沿岸北部、福島県浜通りに所在する市である。
目次
1 概要
2 地理
2.1 気候
2.2 自然
2.3 広域地域区分
2.4 隣接している自治体
2.5 市内の地域
3 歴史
3.1 近世以前
3.2 近代以降
3.3 行政区域の変遷(市町村制施行以後)
3.4 東日本大震災関連
4 行政
4.1 歴代市長
4.2 警察
5 議会
5.1 市議会
5.2 福島県議会
6 郵便
7 預金取扱金融機関
8 地域
8.1 市勢
8.2 人口
9 姉妹都市・提携都市
9.1 日本国内
10 教育
10.1 高等学校
10.2 中学校
10.3 小学校
11 交通
11.1 鉄道
11.2 路線バス
11.3 道路
11.4 道の駅
12 観光
13 著名人
13.1 出身者
14 関連事象
15 脚注
16 外部リンク
概要
2006年(平成18年)1月1日、原町市と相馬郡小高町および鹿島町が合併して誕生した。旧市町の区域ごとに地域自治区となっており、各々「原町区」「小高区」「鹿島区」に移行して住所に名称をほぼ残している。
当初、小高町・鹿島町・原町市の合併協議は飯舘村を含めた旧・行方郡(なめがたぐん)で行われ、新市名には「行方市」も候補に挙がっていた。ちなみに、合併が実施された前年の9月2日に茨城県にあった行方郡(読みも同じ)の3町が合併し、行方市が誕生している。
福島県沿岸最大の都市いわき市と宮城県仙台市との距離はそれぞれ約75kmで、両市のほぼ中間に位置する。地方紙『福島民報』『福島民友』の2紙ともに支社を置いている。
国の重要無形民俗文化財に指定されている相馬野馬追が行われる。北泉海岸はサーフィンが盛んなことでも知られており、夏になると世界大会が開催される。SF映画『戦国自衛隊』の撮影に使われ、市内の高校生がエキストラとして協力している。
関東大震災を最初に世界に伝えた原町区の原町無線塔は、高さ約200mで、当時アジアで最も高い建築物だった。しかし、老朽化などから1982年(昭和57年)に解体され、現在は原町区に1/10スケールの記念塔である憶・原町無線塔がある。
地理
気候
暖流の影響により、夏は冷涼で冬は温暖な気候である。降雪量は東北地方としては少なめであるが、南岸低気圧が通過した際には大雪が降ることがある。山沿いにある。原町区馬場や片倉地区、小高区川房、金谷地区などは積雪量が多くなる。
自然
東は太平洋に面し、西は阿武隈高地に接する。
- 主要な地形
- 山地:八森山、八丈石山、国見山
- 河川系:新田川、真野川、小高川、宮田川、太田川、水無川、はやま湖
- 近海・沿岸地形:北泉海岸
広域地域区分
福島県内の地勢的かつ歴史的な地方区分である、浜通り・中通り・会津のうち、浜通り地方に属し、その北東部に位置する[1]。
福島県内の地方区分の一つである、相双(そうそう)・いわき・県北・県中・県南・会津・南会津のうち、相双地方に属する[2]。
隣接している自治体
[3]
相馬市:北部で隣接。
相馬郡飯舘村:西部で隣接。
双葉郡浪江町:南西部から南部にかけて幅広く隣接。
市内の地域
[4][5]
旧・市町の区域で3つの地域自治区が設置され、一部を除いて住所表示は市名に続けて区の名称を付ける。
- 旧・相馬郡小高町→ 南相馬市小高区
- 旧・相馬郡鹿島町→ 南相馬市鹿島区
- 旧・原町市→ 南相馬市原町区
- 例 :原町市本町二丁目27番地→ 南相馬市原町区本町二丁目27番地
小高区と鹿島区にそれぞれ区役所を設置しているが、東京特別区や政令指定都市の区役所とは性質が異なり、実質は単なる市役所の支所として機能している。
- 旧・小高町役場→ 小高区役所
- 旧・鹿島町役場→ 鹿島区役所
- 旧・原町市役所→ 南相馬市役所(本庁)
歴史
近世以前
縄文時代前期中葉から中期末(約5500 - 約4000年前):浦尻貝塚の形成期。
古墳時代前期:現在の南相馬市原町区内にあたる地域に桜井古墳群が築造される。
伝・大同元年(806年):陸奥国行方郡にある文殊ヶ嶽の山頂に高倉文殊堂が建立される(のち、麓の高倉村(現・原町区高倉)に移される)[6]。
嘉暦元年(1326年):千葉一族の相馬重胤らが陸奥国行方郡に下向。小高城(在・小高区小高)を築いて居城とし、勢力を拡大。陸奥相馬氏の祖となる。
建武3年(1336年):北畠顕家率いる南朝勢に攻められ、北朝方の陸奥相馬氏は大敗。一族の多くが討ち死にするなか、小高城も落城する。- 建武4年(1337年):帰国した相馬親胤が北畠顕家を破って自領を旧に復し、小高城も奪還する。
天正17年6月5日(1589年7月17日):伊達政宗が摺上原の戦いで蘆名義広に大勝し、南奥州に覇を唱える。陸奥相馬氏本領はこれにより、伊達氏と直接対峙する地勢となる。
慶長2年5月(1597年6月):相馬義胤が、280年間陸奥相馬氏の居城だった小高城を離れ、北に位置する牛越城(在・原町区牛越)を修築して入城する。- 慶長6年(1601年):徳川家康の命を受けた伊達政宗が上杉領(上杉景勝)へ侵攻する際、相馬勢は伊達勢と連携する(これが所領安堵につながったとされる)。
- 慶長7年10月(1602年11月):相馬利胤が本多正信や伊達政宗の取り成しを介して徳川家康から陸奥相馬氏の本領安堵を勝ち取り、これをもって相馬藩(相馬中村藩、中村藩)が成立する。
- 慶長16年12月(1611年12月):相馬利胤が中村城(相馬中村城。在・相馬市中村)を修築して当主居城(藩庁)とし、小高城を廃城とする。
承応元年(1652年)- 延宝元年(1673年):相馬忠胤治世下のこの頃、忠胤によって年中行事「相馬野馬追」に講武的色彩が加えられ、現在まで続く形式が確立される。
天明2年(1782年)- 8年(1788年):陸奥国全土を中心に天明の大飢饉が起こり、中村藩(相馬藩)も被害甚大。多くの領民が餓死あるいは逃散した。
近代以降
明治元年12月7日(1869年1月19日):陸奥国が4分立し、当地域は磐城国に属することとなる。
明治4年7月14日(1871年8月29日):廃藩置県によって中村藩(相馬藩)が消滅し、磐城国に中村県が成立(当地域が所属)。cf. 府藩県三治制#廃藩置県当日に存在した藩。
- 同年11月(1871年12月):磐城国のほぼ全域が磐前県(いわさきけん)に統合される(当地域が所属)。
1872年(明治5年):野馬原の野馬が全て狩り獲られてしまい、伝統行事「相馬野馬追」が実施不可能となる。
1876年(明治9年)8月21日:第2次府県統合により、福島県(旧・二本松県)・若松県・磐前県が合併して新生の福島県が成立(当地域が所属)。
1878年(明治11年)7月1日:相馬太田神社(在・原町区)等が相馬野馬追の再興に尽力し、内務省から開催の認可を得る。
1898年(明治31年)4月3日:原町(原町市本町(もとまち)の前身。現・南相馬市原町区本町。cf. [7])で日本鉄道磐城線(JR常磐線の前身路線)原ノ町駅が、鹿島村(現・鹿島区)で同じく鹿島駅が開業。- 1898年(明治31年)5月11日:小高町(現・小高区)で日本鉄道磐城線(現・JR常磐線)小高駅が、原町(現・原町区)で同じく磐城太田駅(開業時駅名:高駅)が開業。
1921年(大正10年)7月:原町(現・原町区)に原町無線塔が完成し、磐城無線電信局原町送信所が設置される。
1923年(大正12年)9月1日:磐城無線電信局原町送信所が関東大震災の第一報を無線通信によって世界中に打電する。
1930年(昭和5年)7月8日:小高町(現・小高区)にある大悲山の石仏が国の史跡に指定される。
1937年(昭和12年):原町(現・原町区本町)の事業として、新田川水系野手上川流域にある???村風兼(現・相馬郡飯舘村風兼)で、風兼ダム(cf. 飯舘村#河川系。型式:アースダム)が竣工。
1948年(昭和23年)8月10日:小高町(現・小高区)で日本鉄道磐城線(現・JR常磐線)桃内駅が開業。
1955年(昭和30年):原町市(現・原町区)にある桜井古墳が、大塚初重率いる明治大学考古学研究室によって調査された結果、当時の知見で「日本列島で最も北に所在する、東北最大規模の前方後方墳である」とされた。
1956年(昭和31年)11月7日:桜井古墳が国の史跡に指定される。
1958年(昭和33年):建設途中の東京タワー(同年10月14日竣工)が、原町無線塔の高さを上回る。- 1960年代末(昭和40年代前半):相馬郡小高町と双葉郡浪江町に跨る地域に、東北電力が原子力発電所の誘致を持ちかける。当時東北電力は女川原子力発電所の建設計画も進めており、宮城県女川町へ原発と付随する交付金や雇用等を取られてしまうという対抗心もあって小高町議会(当時)と浪江町議会は賛成したが、世に公害意識が芽生え始めた時期でもあり、長らく反対運動が続くことになる。1982年の雑誌対談で示された概要図では原子炉は4基となっていた[8](のちの浪江・小高原子力発電所計画)。
1982年(昭和57年)3月:老朽化のため、原町無線塔が解体される。- 1982年(昭和57年)10月:解体された原町無線塔のミニチュア記念塔である憶・原町無線塔が完成。
1983年(昭和58年):範囲確認調査の結果、桜井古墳に、古墳の周囲に掘られた堀である周濠が確認される。
1988年(昭和63年)6月13日:桜井古墳の、周濠を含む地域の遺構が、国の史跡に指定(追加指定)される。
1994年(平成6年):原町市が「桜井古墳保全整備事業」に着手。
1997年(平成9年):原町市および鹿島町(現・原町区および鹿島区)で原町火力発電所が運転開始。
1998年(平成10年)4月17日:常磐自動車道の南相馬インターチェンジ、着工。
2003年(平成15年)5月18日:原町市が桜井古墳を史跡公園(福島県初の本格的史跡公園)として整備し、開園する。
2004年(平成16年):北泉海岸でサーフィンのアマチュア全国大会開催。
2005年(平成17年):北泉海岸でサーフィンの東日本プロ大会開催。
2006年(平成18年)10月4〜8日:北泉海岸で世界プロサーフィン連盟公認の「ワールド・クオリファイ・シリーズ」が開催される。- 2006年(平成18年):小高区の浦尻貝塚が国の史跡に指定される。
2007年(平成19年)10月4日:磐城無線電信局原町送信所跡地に道の駅南相馬、開業。
2009年(平成21年):原町無線塔跡地に花時計(無線塔跡花時計)が設置される。
2011年(平成23年)3月1日:人口70,772人、世帯数23,653[9]。- 2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災が発生し、南相馬市も被害甚大(※節を改めて詳述する)。
行政区域の変遷(市町村制施行以後)
1889年(明治22年)4月1日:町村制施行により、行方郡鹿島村、真野村、八沢村、上真野村、原町村、太田村、高平村、大甕村、石神村、小高村、福浦村、金房村の12村が成立。
1896年(明治29年):行方郡が宇多郡と合併し、相馬郡となる。
1897年(明治30年):町制が施行され、原町村が原町となる。
1898年(明治31年)1月19日:小高村が町制施行し、小高町となる。
12月1日:町制施行により、鹿島村が鹿島町になる。
1954年(昭和29年)3月20日:原町・太田村・大甕村・高平村の1町3村が合併の上、市制を施行し、原町市となる[10]。
3月31日:小高町・福浦村・金房村の1町2村が合併し、小高町となる[11]。鹿島町・真野村・八沢村・上真野村が合併し、鹿島町となる[12]。
1956年(昭和31年)9月30日:相馬郡より、石神村を編入する[13]。
2006年(平成18年)1月1日:原町市および相馬郡小高町・鹿島町が合併し、南相馬市が誕生[14]。地域自治区となった旧市町は、それぞれ、原町区・小高区・鹿島区となる。
東日本大震災関連
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2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、南相馬市は小高区と鹿島区で震度6弱、原町区本町と原町区三島町で震度5弱を観測した[15]。
さらにこの地殻変動が引き起こした津波が海岸線から約2km付近までの地域を呑み込み、壊滅させた[16][17]。
小高区塚原字沼在住の自然環境調査員の目撃証言によれば、特に津波の第3波は大きく、海岸線に設けられた高さ十数メートルの防潮林を越えたという[18][19][20][21]
(なお、ごく一部の例外として屋敷林が住家[屋敷、母屋]を守った[22])。
原町火力発電所も津波の直撃を受け、死者1人、火災の発生(14日に発生)、機器損壊、8万トン級の石炭船の沈没等、多大な被害を受けた[23]。
[24]
3月26日:桜井勝延市長が、動画投稿サイトYouTubeを公式情報の発信源として活用し、生活物資が足りない被災地の窮状を「兵糧攻め状態だ」と、英語字幕付きで世界に訴えた(撮影日時:3月24日21時)[25]。福島第一原子力発電所事故(東京電力)の放射能漏れによって屋内退避区域に指定された同市には食料・燃料等の救援物資が満足に届かず(cf. 福島第一原子力発電所事故#人々の言動)、政府や東京電力からの連絡・情報も不足しているとのことであり、この動画は世界からの反響を得た(4月21日時点で再生回数35万回を超えた)[26]。
3月29日:この時点で南相馬市は、死者301人、行方不明者約1,180人、破壊された世帯約1,800[27]。
4月7日:桜井勝延市長、YouTubeで市民向けに情報発信[28][29]。
4月9日:この時点で、死者403人、行方不明者1,071人、避難者279人[30]。
4月21日:アメリカのニュース雑誌『タイム』(ニューヨーク・タイムズ)が、2011年版「タイム100(世界で最も影響力のある100人)」の一人に、先の原子力事故への日本政府の対応を動画投稿サイト上で批判し、世界に広く支援を訴えた南相馬市長・桜井勝延を挙げた(日本人としては他に、宮城県南三陸町で患者の避難や治療に滅私の姿勢で尽力した内科医・菅野武を挙げている)[31][32][26]。
5月1- 2日:伝統行事「相馬野馬追」のために飼育されている馬28頭を、福島第一原発より20km圏(警戒区域)内から避難させる(特例措置であり、警戒区域内の家畜の移動は本来許可されない)[33]。
6月1日:警戒区域内(福島第一原発より20km圏内)で、避難住民所有の自動車の各自持ち出しが、「全行程2時間以内」との制限つきで許可され、対象9市町村の第1弾として南相馬市民38人と川内村民21人が放射線防護服を着用して地域に入る[34]。
7月20日:被災者向けの情報提供を主眼とした地上デジタルテレビ放送の実験試験局「南相馬チャンネル」が開局。
2012年(平成24年)
2月10日 復興庁が設置される。当市に福島復興局南相馬支所開設。
10月30日 市内の仮設住宅と旧警戒区域を結ぶジャンボタクシーが運行開始[35]。
2013年(平成25年)
2月21日 南相馬チャンネルが地上一般放送局に移行した。
2016年(平成28年)
7月12日 避難指示を解除(帰還困難区域は残るが、該当世帯無し)。東日本大震災後に運転を見合わせていたJR常磐線原ノ町 - 小高駅間の列車運行も5年4か月ぶりに再開された[36]。
行政
歴代市長
歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 渡辺一成 | 2006年(平成18年)1月30日 | 2010年(平成22年)1月28日 | 旧・原町市長 |
2代-3代 | 桜井勝延 | 2010年(平成22年)1月29日 | 2018年(平成30年)1月28日 | |
4代 | 門馬和夫 | 2018年(平成30年)1月29日 | (現職) |
- 市長職務執行者:中野一徳(2006年1月1日 - 2006年1月29日 、旧・鹿島町長)
警察
- 南相馬警察署
議会
市議会
- 定数:22人
- 任期:2018年12月1日 - 2022年11月30日[37]
- 議長:今村裕(友和会)
- 副議長:山田雅彦(尚友会)
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表者) |
---|---|---|
友和会 | 6 | ◎中川庄一、菊地洋一、大場裕朗、田中一正、細田廣、今村裕 |
改革クラブ | 5 | ◎渡部一夫、小川尚一、竹野光雄、鈴木貞正、田中京子 |
尚友会 | 5 | ◎太田淳一、平田武、高橋真、大岩常男、山田雅彦 |
志政会 | 2 | ◎鈴木昌一、岡﨑義典 |
日本共産党議員団 | 2 | ◎渡部寬一、栗村文夫 |
無会派 | 2 | 大山弘一、志賀稔宗 |
計 | 22 |
福島県議会
- 定数:2名
- 任期:2015年(平成27年)11月20日 - 2019年(平成31年)11月19日
- 選挙区:南相馬市・相馬郡飯舘村選挙区
氏名 | 会派名 | 当選回数 |
---|---|---|
太田光秋 | 自由民主党 | 5 |
髙野光二 | 県民連合 | 2 |
※2018年5月18日現在。
郵便
- 郵便局
原町郵便局(集配局)- 小高郵便局(集配局)
鹿島郵便局(集配局)- 上真野郵便局(集配局)
- 磐城太田郵便局
- 蛯沢郵便局
- 信田沢郵便局
- 原ノ町駅前郵便局
- 原町南町郵便局
- 原町本町郵便局
- 原町桜井町郵便局
- 真野郵便局
- 簡易郵便局
- 高平簡易郵便局
- 大原簡易郵便局
- 北海老簡易郵便局
- 小池簡易郵便局
- 栃窪簡易郵便局
- 飯崎簡易郵便局
預金取扱金融機関
- 原町区
七十七銀行原町支店
東邦銀行原町支店
常陽銀行原町支店
福島銀行原町支店
大東銀行原町支店
あぶくま信用金庫本店営業部・東支店
相双五城信用組合原町支店
東北労働金庫原町支店
ふくしま未来農業協同組合原町総合・原町西支店
- 鹿島区
- 大東銀行鹿島支店
- 相双五城信用組合鹿島支店
- ふくしま未来農業協同組合鹿島総合・上真野支店
- 小高区
- 東邦銀行小高支店(福島第一原発事故の影響により休止中※再開済み)
- あぶくま信用金庫小高支店
- ふくしま未来農業協同組合小高総合・福浦支店
地域
市勢
- 面積:398.50km2
- 人口:73,722人
- 男性:35,673人
- 女性:38,049人
- 世帯数:23,417世帯
- 人口密度:185.00人/km2
2006年(平成18年)1月1日時点。
人口
南相馬市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 南相馬市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 南相馬市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
南相馬市(に相当する地域)の人口の推移 ► | |
総務省統計局 国勢調査より |
姉妹都市・提携都市
日本国内
- 提携都市
知多市(愛知県)
2013年(平成25年)7月29日 災害時応援協定締結
青梅市 (東京都)
2013年(平成25年) 災害時相互応援協定締結
教育
高等学校
- 福島県立原町高等学校
- 福島県立相馬農業高等学校
- 福島県立小高産業技術高等学校
中学校
- 南相馬市立原町第一中学校
- 南相馬市立原町第二中学校
- 南相馬市立原町第三中学校
- 南相馬市立石神中学校
- 南相馬市立鹿島中学校
- 南相馬市立小高中学校
小学校
- 南相馬市立原町第一小学校
- 南相馬市立原町第二小学校
- 南相馬市立原町第三小学校
- 南相馬市立高平小学校
- 南相馬市立大甕小学校
- 南相馬市立太田小学校
- 南相馬市立石神第一小学校
- 南相馬市立石神第二小学校
- 南相馬市立鹿島小学校
- 南相馬市立上真野小学校
- 南相馬市立真野小学校
- 南相馬市立八沢小学校
- 南相馬市立小高小学校
- 南相馬市立金房小学校
- 南相馬市立鳩原小学校
- 南相馬市立福浦小学校
交通
隣接する主要都市への移動手段は、南北へいわき市や相馬市に国道6号や常磐線が通じており、常磐自動車道は2015年3月1日に全線開通となった。西へは福島県中通りへの唯一の公共交通として県庁所在地の福島市まで路線バスが整備されており、2010年代末までに開通予定である東北中央自動車道を経由するルートが開かれる。
鉄道
東日本旅客鉄道(JR東日本)
■常磐線
桃内駅 - 小高駅 - 磐城太田駅 - 原ノ町駅 - 鹿島駅
- 中心となる駅:原ノ町駅
路線バス
福島交通 - 原町区・鹿島区内、および相馬市と原町区・鹿島区を結ぶ路線など。
新常磐交通 - 原発事故の影響により運休中。
東北アクセス - 福島市および仙台市と南相馬市を結ぶ高速バス路線[38]。
桜交通 - さくら高速バス。東京都と南相馬市を結ぶ高速バス路線。
道路
- 高速道路
常磐自動車道
- 南相馬IC
- 南相馬鹿島SA/スマートIC
- 国道
- 国道6号
- 国道114号
- 福島県道
- 福島県道12号原町川俣線
- 福島県道34号相馬浪江線
- 福島県道49号原町浪江線
- 福島県道62号原町二本松線
- 福島県道74号原町海老相馬線
道の駅
- 道の駅南相馬
観光
- 相馬野馬追
- 福島県を代表する夏祭りのひとつと見なされる祭事。南相馬市原町区で騎馬武者約500人の行進の後、雲雀ヶ原祭場地にて、古式甲冑競馬と神旗争奪戦が繰り広げられる。古式甲冑競馬と神旗争奪戦は明治時代以降の祭事である。
- * 相馬野馬追 野馬懸祭 :国の重要無形民俗文化財。
恐竜の足跡化石産出地
中生代ジュラ紀後期キンメリッジアン(en。約1億5570万- 約1億5080万年前)に属する地層群であり、体長2m程度の獣脚類と見られる小型恐竜の足跡の生痕化石が、鹿島区小山田から発見されている。
浦尻貝塚(うらじり かいづか)
- 小高区浦尻に所在する、縄文時代前期中葉から中期末にかけて(約5500 - 約4000年前)形成された貝塚。国の史跡。
桜井古墳
- 国の史跡で前方後方墳としては東北地方でも大規模な部類に属している。周辺の古墳群との関係から「桜井古墳群1号墳」とも称される。[39]
高倉文殊堂
空海によって大同元年(806年)に建立されたと伝えられる文殊堂。磐城国行方郡高倉村(現・南相馬市原町区高倉)。[6]
- サマーフェスタはらまち
- 原町シーサイドパークを中心に、日中は砂の芸術や郷土芸能等催し物が開催され、夜は海に映える花火大会が開催される。屋台村も設置され一日中楽しめる夏の祭典で、子供たちの夏休みも思い出になっている。
- 雲雀ヶ原
大悲山の石仏(薬師堂石仏、阿弥陀堂石仏、観音堂石仏) :国の史跡。- 大悲山の大スギ :1955年(昭和30年)2月4日、県指定天然記念物。
小高城址(小高神社)- 北泉海岸
- 海岸を埋め立てて造った、原町火力発電所の南側に続く砂浜海岸で、原町区にある。発電所の防波堤の反射波と直達波が合成されて大きな波が発生することから、サーフスポットとしても知られている。サーフィンの大会は、2004年(平成16年)にアマチュア全国大会、2005年(平成17年)に東日本のプロ大会、2006年(平成18年)10月4- 8日には、世界プロサーフィン連盟が公認する「ワールド・クオリファイ・シリーズ(WQS)」(2 star) が開催された。cf. サーフィン#2006年日本開催の主な大会。
- * 北泉海水浴場
- * 原町シーサイドパーク
- 右田浜海水浴場
- 塚原海水浴場
- 村上海水浴場
憶・原町無線塔
- 解体された原町無線塔の1/10スケールのミニチュア記念塔として、1982年(昭和57年)10月に完成。
- 無線塔跡花時計
2009年(平成21年)、原町無線塔跡地に設置された花時計。cf. 憶・原町無線塔#周辺情報。
南相馬市博物館 [40]
- 南相馬市民文化会館
サテライトかしま :競輪場外車券売場。- 銘醸館
- サムライフェス
- 相馬軍と伊達軍にわかれて模擬合戦が行われる。
著名人
出身者
- 政治家
相馬利胤 :武士(陸奥相馬氏当主。相馬中村藩初代藩主)。天正9年(1581年)、小高城生まれ。南相馬に居城を置いた最後の陸奥相馬氏当主(※相馬藩庁は相馬中村城)。
鈴木安蔵 :法学者(憲法学者)、法制史家。1904年3月3日生まれ。
桜井勝延 :政治家(前:南相馬市長)。アメリカのニュース雑誌『タイム』から、2011年版「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた (cf.)。1956年1月4日生まれ。
- 芸能
若松央樹 :テレビプロデューサー(フジテレビ)。
松鶴家千とせ :漫談家。司会者。1938年1月9日生まれ。
星弘泰 : ベーシスト。元ZARDメンバー。1969年生まれ。
脇坂真人 :ミュージカル俳優
- 映画
亀井文夫 :映画監督
- 文学
松岡佑子 :元通訳、翻訳家(ハリー・ポッター・シリーズ日本語版翻訳者)。実業家。1943年9月10日生まれ。
佐柄きょうこ :漫画家。5月12日生まれ。旧原町市出身。
菅野雪虫 : 小説家。『天山の巫女ソニン』 シリーズの著者。1969年生まれ。旧鹿島町出身。
- スポーツ選手
平忠彦 :元オートバイロードレースライダー(世界グランプリ・ライダー)。1956年11月12日生まれ。
木幡初広 :騎手(JRA美浦トレーニングセンター所属)。1965年6月14日生まれ。
西内洋行 :トライアスロン選手。1975年10月13日生まれ。
今井正人 :陸上競技選手(長距離走、マラソン)。1984年4月2日生まれ。
- ゆかりの著名人
相馬重胤 :武士(陸奥相馬氏の祖。その子孫は代々(1611年まで)、小高城(在・小高区小高)を始めとする南相馬の城で出生する)。
関連事象
電話の市外局番は0244で、相馬市および相馬郡町村と同一のエリア(原町MA)である。
脚注
^ cf. 福島県の地方区分図(参考):“売却農地情報”. (公式ウェブサイト). 福島県農業振興公社. 2011年6月24日閲覧。
^ cf. 福島県の地方区分図(参考):“自動車税住所変更申請”. ふくしま県市町村共同電子申請システム(公式ウェブサイト). 福島県. 2011年6月24日閲覧。
^ cf. 福島県の市町村全図 :“地図上検索”. (公式ウェブサイト). 福島県. 2011年4月18日閲覧。
^ cf. “南相馬市”. (公式ウェブサイト). 日本郵便. 2014年3月8日閲覧。
^ cf. “南相馬市(福島県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年4月20日閲覧。
- ^ ab“高倉文殊堂”. (公式ウェブサイト). 高倉文殊堂. 2011年6月6日閲覧。
^ “原町市”. (公式ウェブサイト). 日本郵便. 2011年6月23日閲覧。
^ 初期の経緯については『原子力工業』1982年1月
^ 南相馬市公式ウェブサイトより。
^ 同年3月18日、総理府告示第93号「市町村の廃置分合」
^ 同年3月27日、総理府告示第219号「町村の廃置分合」
^ 同年3月27日、総理府告示第280号「町村の廃置分合」
^ 同日、総理府告示第516号「市村の廃置分合」
^ 2005年(平成17年)8月8日、総務省告示第852号「市町の廃置分合」
^
“震度データベース検索”. (公式ウェブサイト). 気象庁 (2011年3月11日). 2011年4月16日閲覧。
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“「砂嵐のような津波が…」壊滅的被害の福島・南相馬市”. イザ(MSN産経ニュース・ブログ) (産業経済新聞社). (2011年3月12日). http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/495600/ 2011年6月6日閲覧。
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“NHKニュース 一夜明けた朝の様子 福島県南相馬市”. NHKオンライン(NHKニュース 動画) (NHK). (2011年3月11日). http://www.youtube.com/watch?v=p1zL3SRC6Dg&feature=related 2011年6月6日閲覧。 :YouTubeを用いたNHKのニュース動画。“巨大地震被害 福島・南相馬”. Yomiuri online (読売新聞社). (2011年3月13日). http://www.yomiuri.co.jp/stream/sp/earthquake/earthquake_015.htm 2011年6月6日閲覧。 :同じく読売新聞のニュース動画。
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“海岸飲んだ大津波 南相馬市の男性撮影”. 福島民放(ウェブサイト) (福島民報社). (2011年3月20日). http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4144&blockId=9806130&newsMode=article 2011年6月6日閲覧。
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“東日本大震災・南相馬,相馬地域の被害概要”. (公式ウェブサイト). 新潟大学 災害・復興科学研究所 (2011年4月8日). 2011年6月6日閲覧。
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“平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震津波の概要(第3報) 青森県〜福島県の津波高・浸水高および青森県〜千葉県の浸水状況 (PDF)”. (公式ウェブサイト). 日本気象協会 (2011年4月22日). 2011年6月6日閲覧。
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“東北震災(南相馬市原町区の津波被害)調査 (PDF)”. (公式ウェブサイト). 明治コンサルタント (2011年5月1日). 2011年6月6日閲覧。
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“ユーチューブに津波映像 福島・原町発電所関係者が撮影か”. MSN産経ニュース(ウェブサイト). 産業経済新聞社 (2011年4月1日). 2011年6月7日閲覧。
^ cf. “写真で見る東日本大震災”. (公式ウェブサイト). 南相馬市役所. 2011年4月20日閲覧。
^ “SOS from Mayor of Minami Soma City, next to the crippled Fukushima nuclear power plant, Japan”. YouTube. 南相馬市 (2011年3月26日). 2011年3月28日閲覧。
- ^ ab“南相馬市長と南三陸町の医師、米誌「影響力ある100人」”. 日経電子版 (日本経済新聞社). (2011年4月22日). http://www.nikkei.com/tech/news/article/g=96958A9C93819695E0E0E2E28B8DE0E0E2E6E0E2E3E39180E2E2E2E2;da=96958A88889DE2E0E2E5EAE5E5E2E3E7E3E0E0E2E2EBE2E2E2E2E2E2 2011年4月22日閲覧。
^ “市長からのメッセージ”. (公式ウェブサイト). 南相馬市役所 (2011年3月29日). 2011年3月30日閲覧。
^ “南相馬市長から市民へのメッセージ20110407”. YouTube. 南相馬市 (2011年4月7日). 2011年4月10日閲覧。
^ cf. “市長からのメッセージ”. (公式ウェブサイト). 南相馬市役所. 2011年4月10日閲覧。
^ “東日本大震災 図説集”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年4月10日). オリジナルの2011年6月19日時点によるアーカイブ。. https://www.webcitation.org/5zZ0zUltR?url=http://mainichi.jp/select/jiken/graph/sinsai_zusetsu/ 2011年4月17日閲覧。 :被災状況全図。
^ “Katsunobu Sakurai - The 2011 TIME 100” (英語). New York Times (official website) (New York Times Company). (2011年4月22日). http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,2066367_2066369_2066461,00.html 2011年4月22日閲覧。
^ “米タイム誌:「最も影響力ある100人」に南相馬市長ら”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年4月22日). http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110422k0000e030010000c.html 2011年4月22日閲覧。
^ “【原発】相馬野馬追守れ!馬を警戒区域外に移動(11/05/02)”. ANNニュース(ウェブサイト 動画) (ANN). (2011年5月1日). http://www.youtube.com/watch?v=EPxoGJq3gR8 2011年6月6日閲覧。 :YouTubeを用いたANNのニュース動画。cf. “【被災地情報】福島・南相馬市 伝統の「相馬野馬追」は”. 福島:テレビ朝日系列(動画) (テレビ朝日系列). (2011年4月29日). http://www.youtube.com/watch?v=3Q-gxSp34Vs 2011年6月6日閲覧。 :同じくテレビ朝日のニュース動画。
^ “防護服の住民が車持ち出し”. Yomiuri Online(動画) (読売新聞社). (2011年6月1日). http://www.yomiuri.co.jp/stream/sp/earthquake/earthquake_136.htm 2011年6月6日閲覧。 :ニュース動画。
^ “旧警戒区域へ送迎開始 南相馬市 ジャンボタクシーで仮設からの帰宅支援”. fukushimaminpo (福島民報社). (2012年10月31日). http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/10/post_5392.html 2016年7月29日閲覧。 :県内ニュース
^ “5年4カ月ぶり再開 JR常磐線原ノ町-小高間”. fukushimaminpo (福島民報社). (2016年7月13日). http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/07/post_13934.html 2016年7月13日閲覧。 :県内ニュース
^ “市町村長等の任期等一覧表(平成30年12月1日現在) (PDF)”. 福島県庁. 2018年12月19日閲覧。
^ “定期便ご案内”. 東北アクセス. 2013年6月6日閲覧。
^ “桜井古墳”. 国指定文化財等データベース(公式ウェブサイト). 文化庁. 2011年6月6日閲覧。
^ “南相馬市博物館”. (公式ウェブサイト). 南相馬市博物館. 2011年4月20日閲覧。
外部リンク
- 行政
- 南相馬市
- 観光
- 南相馬市観光協会
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