ぴったし カン・カン











































































ぴったし カン・カン
ジャンル
クイズ番組
企画
秋房子
演出
増井昭太郎
加藤嘉一
岩原貞雄
杉山広司
島津剛史
関谷浩至
熊谷信也
出演者
久米宏(初代司会)
小島一慶(2代目司会)
吉田照美(3代目司会)
萩本欽一
坂上二郎
ほか
テーマ曲作者
ボブ佐久間(久米司会・モノラル時代)→ボブ佐久間・土持城夫(久米司会・ステレオ時代)→不明(小島時代)→不明(吉田時代)
製作
プロデューサー
西村邦房
長谷部務
制作
TBS

放送
音声形式
モノラル→ステレオ
放送国・地域
日本の旗 日本

30分番組時代
放送期間
1975年10月7日 - 1984年9月25日
放送時間
火曜 19:30 - 20:00
放送分
30分

38分番組時代
放送期間
1984年10月9日 - 1986年3月18日
放送時間
火曜 19:20 - 19:58
放送分
38分

ぴったし カン・カン』は、1975年10月7日から1986年3月18日までTBS系列局で放送されていたTBS製作のクイズ番組である。




目次






  • 1 概要


  • 2 番組のスタイル


  • 3 ルール


  • 4 放送時間


  • 5 出演者


    • 5.1 司会


    • 5.2 キャプテン


      • 5.2.1 ぴったしチーム


      • 5.2.2 カンカンチーム




    • 5.3 ぴったしチーム・レギュラー解答者




  • 6 スタッフ


  • 7 番組終了とその後


  • 8 ネット局


    • 8.1 備考




  • 9 脚注


  • 10 関連項目





概要


タレントだけでなく一般人も出場していた視聴者参加型番組。殆どの期間においては久米宏が司会を、コント55号の萩本欽一と坂上二郎がチームキャプテンを務めていた。


クイズ番組ならではのスリルを味わうような肩肘張った内容ではなく、大喜利的な要素を持つトーク重視の内容だった。久米は、この番組での軽妙洒脱な司会ぶりで全国的な人気を得た。「ほにゃらら」という言葉は、久米が問題を読む際「このとき思わずほにゃららと叫んでしまいました。なんと叫んだのでしょうか?」というように出題時の正解部分に使い、広く使われるようになった。「ほにゃぺけ」という言い方もあった[1]


またこの番組は、日本のクイズ番組史上初のVTR問題を出した番組でもある。フジテレビの『なるほど!ザ・ワールド』も同様のスタイルを取っていたが、本番組はそれよりも6年早く始められている。


企画の発端はテレビ局のスタッフや作家などを集めて行われた萩本宅での新年会で、古くからある古今東西ゲーム(山手線ゲーム)をヒントにして発案された。これは、司会役が「古今東西、花の名前!」とお題を出せば対戦者同士が花の名前を競って口にし、途中で一度出た花の名前を言ってしまったり途切れたりすれば負けとなるゲームで、このゲームが持つスピード感をクイズ番組に活かせないものかと提案された。よって企画クレジットには、萩本が各企画・主演番組で用いていたペンネーム「秋房子」(あき・ふさし)が挙がっている。番組開始前の萩本は、自身と坂上それぞれの個人活動が増えてコント55号としての活動に限界を感じていた頃であり、またコント以外の新しい番組を模索しはじめていた頃でもあった。当時『55号決定版!』の担当者で、先述の新年会に招かれていたTBSのプロデューサーは奔走し、長年「55号枠」として定着していた火曜19:30枠を使っての番組スタートにこぎつけた。番組タイトルは、「クイズに正解(=ぴったし)したときになる鐘(=カン・カン)」に因んで付けられた。実際に久米から正解、または正解の内容に近い解答で「おまけ正解」と見なされた場合、「ぴったし カン・カーン!」の叫び声とチューブラーベル(録音)が鳴らされた。


番組制作は2週分をまとめて行うスタイルで、まず1本目を生放送した後、撮って出しの形で翌週放送分を収録していた。萩本は、当時本番組の生放送・収録直前の時間まで自身企画・主演の『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日)の収録に参加しており、同番組の収録が延びて本番組の生放送に遅刻寸前という事態がしばしばあったという。


番組は、直前の時間帯に放送されていた『ザ・チャンス!』(1979年放送開始)ともども高視聴率をマークしていた。最高視聴率は1979年11月20日放送分での37.6% (ビデオリサーチ・関東地区調べ)[2]。当初はトクホン本舗(鈴木日本堂=現・トクホン)の一社提供で放送されていたが、中期以降は複数社提供となった。



番組のスタイル


坂上の「キュー!」 (Cue) の掛け声と久米のタイトルコールで番組はスタート。久米は「ぴっ……たしカン・カン!」と、タイトルコールに多少の「ため」を入れるのが恒例であった[3][4]。その後、オープニングBGMに合わせ、久米と解答者全体(ここで番組のタイトルロゴ表示)、会場観覧者 → ぴったしチーム → カン・カンチーム → 久米のアップの順に映像が切り替わり、久米が挨拶をした。


久米の挨拶の後、ぴったしチームの自己紹介、カン・カンチームの自己紹介がある。自己紹介の際は、ちょっとしたコメント(各者共通のキーワードを含めている)を申し述べてから自分の名前を言うのが決まりであり、ぴったしチーム4枠目の藤村俊二はここのコメントで必ずスタジオの笑いを誘うのがお約束だった。カン・カンチームは、まず一人一人が自己紹介した後、萩本の「では、チームの名前は?」の声とともに3人がアクション付きでチーム名を紹介していた。


コーナーはフィルム問題、ゲストが登場する「1枚の写真」コーナー(久米が「お待たせ致しました、ぴったしカンカン恒例(番組初期は吉例)!!1枚の写真!!」とコール)で、その後はゲストにちなんだ問題で構成される。司会席後方には2枚パネルがあり、番組を始める時は両方閉じた状態→フィルム(ビデオ)問題の時は左側のパネルを開け(ゲストの歌コーナーをVTRで披露する場合も再度開けていた)、「1枚の写真!!」に入ると左のパネルを閉じる代わりに右に掲げられたゲストの思い出の写真が開く。以後番組終了までこのゲストの思い出の写真をオープンしながらクイズと談笑が進むというものだった。



ルール


解答者は、坂上がキャプテンとなって3人の芸能人と組む「ぴったしチーム」と、萩本がチームキャプテンとなって3人の一般人と組む「カン・カンチーム」とに分かれる。先攻後攻はじゃんけんで決める。


久米は問題とヒントを出し、解答者たちは久米によるベルの「チン」の音を合図にして順番に答えていく。途中で答えに詰まると相手チームに解答権が移る。このとき、久米が再度ベルを「チン」と鳴らす。久米は、正解が出そうになると「惜しいー!」「○○じゃなーい!」、逆になかなか正解に近づかない場合は「○○から離れて!」などと悲鳴のような声を上げ、雰囲気を盛り上げた。


正解が出ると久米が「ぴったし カン・カーン!」とコールし、チューブラーベルを連打するSEが流れる。このとき、カメラマンの操作により、正解者の「ズームアップ」と「ズームダウン」(広角)を高速で繰り返す映像効果(谷啓の持ちネタ「ガチョーン」で使われるカメラ効果と同じもの)が加えられ、その手法が一世を風靡した。一定時間内に正解が出ないと久米がブザーを鳴らし、正解無しで解答が終了する。


正解時の得点は通常は10点だったが、一発で正解が出ると倍の20点を貰えた。ラストクイズでは得点が30点にまで跳ね上がり、これも一発で正解すると倍の60点を貰えた。


勝利チームには、ゲストから「カン・カンチーム」に合った賞品がプレゼントされた。しかし「ぴったしチーム」が勝っても、キャプテンの坂上が「これは皆様にさしあげます!」と言って「カン・カンチーム」にプレゼントしてしまうのがお約束だった。要するに「カン・カンチーム」は勝っても負けても賞品がプレゼントされるというサービス精神旺盛なものである。さらに「カン・カンチーム」にはカメラなどの参加賞もプレゼントされた。


後述の「一枚の写真」までは1 - 2問程度モニターテレビからの出題(フィルム問題)が行われ、フィルムが自然と止まったところで久米が問題を出してスタートしていた。この場合には後述と異なり、正解の字幕スーパーは出てこなかった(久米が「皆さんもご一緒にお考え下さい」と言う。ただし、「一枚の写真」を除き観客には正解を教える。そのため、面白い正解が出ると観客から大爆笑が起こる。さらに正解に近い答えが出ると、観客から拍手が沸く)。他に品物を使った問題が出されたこともあった(例:「このおもちゃの建屋の中には、どんな車が入っているのでしょう?」/正解は「石焼き芋の屋台をドッキングした車」。解答終了後、改めてラーメン屋台をドッキングした車も合わせて紹介された)。


問題を言うときに答えの部分を曖昧にするために使っていた「ホニャララ」は、この番組で久米が使い始めたことによって広まった久米の造語。



放送時間


いずれも日本標準時。



  • 火曜 19:30 - 20:00 (1975年10月7日 - 1984年9月25日)

  • 火曜 19:20 - 19:58 (1984年10月9日 - 1986年3月18日) - 『JNNニュースコープ』が20分延長されたことにより、放送時間が10分繰り上げ・8分拡大。



出演者



司会



  • 初代0:久米宏(開始当時TBSアナウンサー、1975年10月 - 1984年6月)

  • 2代目:小島一慶(当時TBSアナウンサー、1984年7月 - 1985年9月)

  • 3代目:吉田照美(1985年10月 - 1986年3月)


  • 生島ヒロシ(当時TBSアナウンサー) - 吉田が欠席した回での代理司会。



キャプテン



ぴったしチーム




  • 坂上二郎(コント55号) - 久米、萩本とともに途中降板。

  • 黒沢年男(後の黒沢年雄) - レギュラー解答者を務めていたこともある。



カンカンチーム




  • 萩本欽一(コント55号) - 久米が欠席した回では代理司会も務めた。久米、坂上とともに途中降板。

  • 関根勤

  • 風見慎吾(後の風見しんご) - レギュラー解答者を務めていたこともある。また、「一枚の写真」のゲストとして出演したこともある。



  • 斎藤清六


  • 山口良一 - レギュラー解答者を務めていたこともある。



ぴったしチーム・レギュラー解答者




  • 藤村俊二 - レギュラー解答者時代、「一枚の写真」のゲストとして出演したこともある。しかし正解がなかなか出ず、出た後に萩本から「局まで一緒にタクシーで来たのに」と言われていた。

  • 岸ユキ


  • 相本久美子 - クイズの正解率が高かった。「一枚の写真」のゲストとして出演したこともある。

  • 倉石功

  • ヘレン笹野

  • 斉藤ゆう子


  • 平田昭彦 - 萩本が代理司会を務めた回では、カン・カンチームの代理キャプテンも務めた。

  • 沢田亜矢子

  • 朝比奈マリア

  • 桑田靖子



スタッフ



  • 制作:西村邦房

  • 企画:秋房子、パジャマ党

  • 構成:大岩賞介、高橋秀樹ほか

  • 協力:浅井企画

  • 音楽:ボブ佐久間、土持城夫[5]

  • アシスタント:市川みゆき、山根真由美、山口ひろみ、押田加寿子、宮崎雅子、大倉喜代美、坂本佳栄子、東福久栄、西本淑子、井手真珠美、安藤久美、山内洋子ほか

  • 演出:増井昭太郎、加藤嘉一、岩原貞雄、杉山広司、島津剛史、関谷浩至、熊谷信也

  • プロデューサー:長谷部務、杉山広司



番組終了とその後


1984年6月、長らく番組に出演していた久米・萩本・坂上の3人が揃って降板。同年7月からは替わって小島一慶が司会に就き、キャプテンも変えた上で続けられた。1985年10月からは司会を吉田照美に変更して続けられたものの、それから半年後に番組は終了し、10年半に及ぶ歴史に幕を下ろした。


番組終了から4年後の1990年5月、同じくTBSの『いきなり!クライマックス』で本番組の復刻企画が行われた。この回の企画には、番組終了時の出演者である吉田照美や藤村俊二が出演した。さらに5年後の1995年4月には『春の久米宏スペシャル カン・カンぴったし'95』と題しての単独スペシャルが放送されたが、萩本と坂上はこの特番には出演しなかった。1990年代後半に行われたTBSの新春音楽特番[いつ?][どれ?]での復活企画は、司会:永井美奈子、解答者:今田耕司、東野幸治、ゲスト:和田アキ子とオリジナルメンバーのいない状態で行われたが、2000年12月30日にTBSの『38時間テレビ(SAMBA・TV)』で行われた復活企画には、萩本と坂上がキャプテンとして、藤村が解答者として出演した[6][7][8]。その他の出演者は司会:福留功男、スペシャルパーソナリティ:モーニング娘。、ゲスト:田村亮子。


2003年4月からはリメイク版として、TBSアナウンサー・安住紳一郎司会の『ぴったんこカン・カン』が放送されている。ただし、同番組は同年10月にリニューアルしてからは、グルメロケのVTRが中心でクイズはおまけ程度になるなどオリジナルとは内容がまったく異なっている。『ぴったし』時代の解答者である藤村も、当初は同番組にレギュラー出演していた。


本番組のタイトルは、複数社提供になってからスポンサーに付いた日立製作所が商標登録している(登録商標日本第4668289号)。1984年7月に司会が小島一慶に交代した際、番組タイトルロゴとスタジオセットでの表記が「元祖・ぴったし カン・カン」に改められ、タイトルロゴには登録商標を意味する (R) マークが付された。ただし、司会者のタイトルコールや新聞での表記は「ぴったし カン・カン」のままだった。番組終了後も商標登録は続いているため、日立が提供していない1995年の復活版は『カン・カンぴったし'95』とタイトルを変えた上での放送となり、安住司会のリメイク版も『ぴったんこカン・カン』となった。


2009年6月20日には、美空ひばりが「一枚の写真」のゲストとして出演した回(1980年8月19日放送の第245回)がCS放送のTBSチャンネルで再放送された。この回のぴったしチームの解答者には、キャプテンの坂上のほかに平田昭彦、朝比奈マリア、藤村俊二が出演していた。TBSにはこの回のマスターテープが残っていないため、放送するにあたってひばり本人が自宅で録画していた家庭用ビデオテープを使用した。そのため、本放送時に画面表示されたステレオマークと公開収録の告知テロップもそのまま放送された。TBSチャンネルは毎年ひばりの命日である6月24日前後の時期に「美空ひばり特集」という特別企画を組んでおり、その都度この回の映像が流されている。



ネット局






系列は放送当時のもの。
















































































































































































放送対象地域
放送局
系列
ネット形態
備考

関東広域圏

東京放送

TBS系列

製作局
現・TBSテレビ

北海道

北海道放送
同時ネット


青森県

青森テレビ


岩手県

岩手放送
現・IBC岩手放送

宮城県

東北放送


秋田県

秋田放送

日本テレビ系列
遅れネット


山形県

山形放送
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1984年9月まで

福島県

福島テレビ

フジテレビ系列
同時ネット
→遅れネット
1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局
『Dr.スランプ アラレちゃん』放送のため、1983年9月に打ち切り

テレビユー福島
TBS系列
同時ネット
1983年12月の開局時から

新潟県

新潟放送


長野県

信越放送


山梨県

テレビ山梨


静岡県

静岡放送


石川県

北陸放送


福井県

福井放送
日本テレビ系列
遅れネット
水曜 17:30 - 18:00にて放送[9]

中京広域圏

中部日本放送
TBS系列
同時ネット
現・CBCテレビ

近畿広域圏

毎日放送


鳥取県・島根県

山陰放送


岡山県
→岡山県・香川県

山陽放送
1983年3月までの放送対象地域は岡山県のみ
1983年4月からは電波相互乗り入れによって香川県でも放送

広島県

中国放送


山口県

テレビ山口
TBS系列
フジテレビ系列
遅れネット
→同時ネット
→遅れネット


高知県

テレビ高知
TBS系列
同時ネット


福岡県

RKB毎日放送


長崎県

長崎放送
遅れネット
→同時ネット


熊本県

熊本放送
同時ネット


大分県

大分放送


宮崎県

宮崎放送


鹿児島県

南日本放送
遅れネット
→同時ネット


沖縄県

琉球放送
同時ネット



備考


1975年3月までTBS系列火曜19時台後半はローカルセールス枠に準じる扱い(一社提供スポンサーだったトクホン本舗の厚意で、当枠を時差スポンサードネットとした上でローカル番組への差し替えを可能としていた)だった名残で、長崎放送と南日本放送は、日本テレビ系列土曜19時枠の番組(よみうりテレビ製作『全日本歌謡選手権』→『そっくりショー』→『新・巨人の星』→『新・巨人の星II』・送出局=南日本放送等)を遅れ放送していたため、本番組が遅れ放送となった(長崎放送では日曜18:00 - 18:30、南日本放送は土曜13:30 - 14:00)。その後長崎放送では1979年4月から、南日本放送では1983年4月から同時ネット化された。


当時フジテレビ系列とのクロスネット局だった福島テレビ・テレビ山口の2局では以下の対応が取られていた。



  • テレビ山口では、当初火曜19:30枠がNETテレビ(現・テレビ朝日)系月曜19:30枠のアニメ番組(その後MBS制作・TBS系『まんが日本昔ばなし』に変更)の遅れネット枠だった関係上、日曜10:00から遅れネットで放送し、テレビ朝日系の一部が山口放送に移行した後は、他のTBS系列局と同じ放送日時に放送されていたが、1981年10月からは、「火曜ワイドスペシャル」の放送日時が19:30からに繰り上がったため、土曜17:00に放送日時を移動した。

  • 福島テレビでもクロスネット時代は同時ネットで放送されていたが、1983年4月にフジテレビ系フルネット局にネットチェンジ(JNN脱退・FNN加盟)したため、水曜19:00 - 19:30に放送時間が変更された(1983年9月まで)。ちなみに福島県では1983年10月から同年11月までは未放送だったが、同年12月のテレビユー福島開局後に放送を再開した。



脚注





  1. ^ 『昭和のテレビあるある』 TOブックス、2016年、173頁。


  2. ^ “クイズ・ゲーム高世帯視聴率番組 | ビデオリサーチ”. ビデオリサーチ. 2016年11月9日閲覧。


  3. ^ ただし毎回そうしているわけではなく、ためを入れないでそのままストレートにタイトルコールするケースも多々あった。


  4. ^ のちに久米は『ニュースステーション』でも、『プロ野球1分勝負』のタイトルコール時に「プロ野球いっ……ぷん勝負!」と当番組と同じようにためを入れる演出を加えていた。


  5. ^ 久米司会・モノラル音声時代はボブ佐久間の作曲バージョンを使用したが、ステレオ化に伴い土持のアレンジ版に変更された。小島時代・吉田時代の音楽は不明。


  6. ^ “萩本欽一のTV出演情報 18ページ目 | ORICON STYLE”. oricon ME. 2016年11月9日閲覧。


  7. ^ “坂上二郎のTV出演情報 6ページ目 | ORICON STYLE”. oricon ME. 2016年11月9日閲覧。


  8. ^ “藤村俊二のTV出演情報 77ページ目 | ORICON STYLE”. oricon ME. 2016年11月9日閲覧。


  9. ^ 北國新聞 1984年7月11日付朝刊テレビ欄より。




関連項目




  • ぴったんこカン・カン(TBS)


  • オレたちひょうきん族(フジテレビ) - パロディコーナー「びったしガン・ガン」を放送。


  • 鶴ちゃんのプッツン5 (日本テレビ) - パロディコーナー「びっだし ガンガン」を放送。


  • とんねるずの生でダラダラいかせて!! (日本テレビ) - パロディコーナー「生ダラぴったし カン・コン」を放送。




































TBS系列 火曜19:20枠
前番組 番組名 次番組


ザ・チャンス!
(1979年4月10日 - 1984年9月25日)
※19:00 - 19:30
【水曜19:20枠へ移動・拡大】


ぴったし カン・カン
(1984年10月9日 - 1986年3月18日)
【1984年10月新設】



クイズ三角関係
(1986年4月8日 - 1986年10月14日)
※19:20 - 19:58


TBS系列 火曜19:30枠


みんなで出よう55号決定版!

55号決定版!
(1969年6月10日 - 1975年9月23日)
※19:30 - 20:00


ぴったし カン・カン
(1975年10月7日 - 1986年3月18日)


クイズ三角関係
(1986年4月8日 - 1986年10月14日)
※19:20 - 19:58


TBS系列 火曜19:58枠

みんなで出よう55号決定版!

55号決定版!
(1969年6月10日 - 1975年9月23日)
※19:30 - 20:00


ぴったし カン・カン
(1975年10月7日 - 1984年9月25日)
【1984年10月廃枠】



テレビ大好き! (火曜)
(1984年10月9日 - 1985年8月30日)







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