ランス・バークマン





















































ランス・バークマン
Lance Berkman

Astros Opening Day-24 Lance Berkman.jpg
ヒューストン・アストロズでの現役時代
(2009年4月6日)

基本情報
国籍
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地
テキサス州ウェイコ
生年月日
(1976-02-10) 1976年2月10日(43歳)
身長
体重

6' 1" =約185.4 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席
左投両打
ポジション
一塁手、外野手
プロ入り
1997年 MLBドラフト1巡目(全体16位)でヒューストン・アストロズから指名
初出場
1999年7月16日 タイガース戦
最終出場
2013年9月28日 エンゼルス戦
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴




  • キャニオン高等学校

  • ライス大学


  • ヒューストン・アストロズ (1999 - 2010)


  • ニューヨーク・ヤンキース (2010)


  • セントルイス・カージナルス (2011 - 2012)


  • テキサス・レンジャーズ (2013)




コーチ歴



  • セカンド・バプテスト学校(英語版)



ウィリアム・ランス・バークマンWilliam Lance Berkman , 1976年2月10日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ウェイコ出身の野球指導者、元プロ野球選手(一塁手、外野手)。左投両打。


かつてニックネームは体格と風貌から「ファット・エルヴィス(太ったエルヴィス・プレスリー)」と呼ばれていたが、2006年にバークマンがラジオ番組で「自分を何かに例えるならプーマだ」と自らニックネームを提案し、「ビッグ・プーマ (Big Puma)」が浸透していった[1]


現役ではマーク・テシェイラやカルロス・ベルトランらと並んでMLBを代表するスイッチヒッター。シーズン40本塁打以上を2度記録しているが、他にこの記録を達成しているスイッチヒッターはMLB史上でもミッキー・マントルだけである[2]




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 プロ入り前


    • 1.2 プロ入りとアストロズ時代


    • 1.3 ヤンキース時代


    • 1.4 カージナルス時代


    • 1.5 レンジャーズ時代


    • 1.6 現役引退




  • 2 選手としての特徴


  • 3 詳細情報


    • 3.1 打席別打撃成績


    • 3.2 年度別打撃成績


    • 3.3 タイトル


    • 3.4 表彰


    • 3.5 記録




  • 4 脚注


  • 5 関連項目


  • 6 外部リンク





経歴



プロ入り前


4、5歳のころから父親に野球を教わる。投げるときは左、打つ時は右だったため、父親がファンだったミッキー・マントルのようなスイッチヒッターにすることを思いついた。家の裏に古タイヤを吊るし、毎日左右で50回ずつ打たせて練習させた。


ライス大学在籍時の1997年に打率.431・41本塁打・134打点の成績でウェスタン・アスレチック・カンファレンスの三冠を達成[3]。ライス大学史上初のカレッジ・ワールドシリーズでバークマンは最優秀選手に選出された[3]



プロ入りとアストロズ時代


1997年6月のドラフト1巡目(全体16位)でアストロズから指名を受け、プロ入り。直後からマイナーリーグA級キシミーで試合に出場。53試合の出場で打率.293・12本塁打・35打点という成績を残した。


1998年にはAA級ジャクソンに昇格。ここでも122試合で打率.306・24本塁打・89打点と打ちまくり、シーズン途中でAAA級ニューオーリンズに昇格。打率こそ.271と平凡な数字に終わったが、17試合の出場で6本塁打・13打点を記録。


1999年も前年に引き続きニューオーリンズでプレイ。64試合の出場で打率.323・8本塁打・49打点という成績を記録し、シドニーオリンピックの野球アメリカ合衆国代表メンバーに選ばれた。しかし7月16日にメジャーデビューを果たしたため、代表入りは辞退している。メジャーでは打率.237と振るわなかった。


2000年にメジャーに定着。114試合で打率.297・21本塁打・67打点を記録。また2000年は一時マイナーに落とされていた時期があったが、そこでは31試合で打率.330・6本塁打・27打点を記録している。


この活躍に伴い、シーズン終了後にロジャー・セデーニョをトレードでデトロイト・タイガースへ放出[4]。2001年は完全に左翼のレギュラーポジションを奪取。55二塁打を放ち、スイッチヒッターとしてはMLB初となる50二塁打と30本塁打の同時達成を成し遂げた。また、オールスターゲームまでに21試合連続安打を記録し、自身初のオールスター出場を果たした。球団はバークマンと3年総額1050万ドルで契約延長[3]


2002年は開幕から好調。スイッチヒッターとしてオールスター前までに29本塁打を記録したが、これは1961年にミッキー・マントルが記録した29本塁打に並ぶ記録である。2年連続となるオールスター出場を果たし、最終的にはナ・リーグの打点王に輝いた。その活躍を評価され、MVPの投票では3位につけた。


2003年は数字が軒並み低下。


2004年には復調し打率.300・30本塁打・100打点を超える成績を残し、地元開催となったオールスターに2年ぶりに選出され、試合前日に行われたホームランダービーではミゲル・テハダに次ぐ2位となった[5]。しかし、シーズン終了後にタッチ・フットボールに興じていた際に右膝の前十字靭帯を断裂してしまい、手術を受けることになった[3]


2005年シーズン終了後にFAとなるバークマンと開幕前の3月に6年総額8500万ドルで契約延長した[6]。前年のけがのため初出場は5月6日と出遅れ、5月こそ1本塁打止まりだったものの、徐々に調子を上げ始め、9月だけで11本塁打を記録。チームをポストシーズン出場へと導き、そこでも14打点を挙げた。翌2006年に記録した45本塁打・136打点は自己最多で、本塁打・打点の球団記録保持者ジェフ・バグウェルの記録に本塁打は2本足りなかったが、打点を9年ぶりに1つ更新した[7]。MVP投票でも3位に入った。


2007年はFAで移籍してきたカルロス・リーと並ぶ打線の軸として出場。左打席での打撃不振のため、打率.278・34本塁打・102打点と前年より成績を落とした。


2008年は、前半戦こそ三冠王を争うレベルの成績を残していたが、7月以降はわずか7本塁打しか放てず、29本塁打にとどまった。一方で、2年ぶりに打率.310以上を記録したほか、自己最多の18盗塁も記録した。


2009年、7月に左脹脛の肉離れでDL入りを経験するなど、136試合の出場に終わった。最終成績は、2年ぶりに.270台の打率となる。本塁打は25本放ち、10年連続で20本塁打以上、四球97も、9年連続での90四球以上となった。


2010年、アストロズで85試合に出場していたが、打率.245、13本塁打と成績が低迷した。



ヤンキース時代


2010年7月末のトレード期限直前にマーク・マランソン、ジミー・パレデスとの交換でニューヨーク・ヤンキースへとトレードされる。ヤンキースでも37試合で打率.255に留まり、終盤戦ではツープラトン要員に格下げとなって起用された。結局2球団の通算打率、本塁打、出塁率、長打率、OPSが新人のシーズン以来最低の数字となった。オフにFAとなった。



カージナルス時代


2010年オフにセントルイス・カージナルスと1年契約を結んだ。


2011年は4年ぶりの30本塁打となる31本を放つなど打撃が復活し、カムバック賞を受賞した。また自身初のワールドシリーズ制覇にも、第6戦で逆転の2ランホームラン、10回裏に同点タイムリーを放つなどして貢献した。


2012年は膝を痛めてしまい2度の手術、32試合の出場に留まった。



レンジャーズ時代


2013年1月5日、引退もささやかれたが、テキサス・レンジャーズと1年1000万ドルで契約した[8]。2011年に「TEXは昨年ワールドシリーズに出場したが、今年の戦力は平均レベル。エイドリアン・ベルトレと長期契約を結んだのは間違いだ」と発言していたため、入団が決まってから謝罪した。10月31日、1200万ドルの契約オプションをレンジャーズが破棄したためFAとなった[9]



現役引退


2014年1月29日に現役引退を表明した[10]。2月12日には4月5日に行われるアストロズ対エンゼルス戦で、2月11日に引退したロイ・オズワルトと共に古巣・アストロズと1日契約を結び、引退セレモニーを行うことが発表された[11]セカンド・バプテスト学校(英語版)で野球指導を行う[12]



選手としての特徴






スイッチヒッターだが、右打席ではあまり数字を残していない。MLB全体では右投手の方が多いので、左打席の方が多くなるのは当然だが、打率・出塁率・長打率の3つを見てみると、その差は歴然である。これほど成績に開きがあり、2006年は左打席で9.5打席に1本の本塁打を放っている。これは、58本塁打を放った2006年のナ・リーグMVPライアン・ハワード(10.0打席)や、49本塁打のアルバート・プホルス(10.9打席)を凌ぐペースである。バークマン自身は右打席へのこだわりがあり、2004年のオールスターゲーム前日に開催されたホームランダービーでは、右打席で本塁打を連発していた[2]


もともと一塁手だったが、絶大な人気と実績を誇る主砲ジェフ・バグウェルがいたため、メジャーでのプレー機会を考え、外野手へコンバートされた。バグウェルの引退後は一塁手に定着したものの、現在でもマイク・ラムらが好調な際は外野を守ることがある。カージナルス移籍1年目となる2011年は一塁にプホルス、左翼にマット・ホリデイがいたため、主に右翼手を守った。長く外野を守っていたので、一塁守備は平均レベルだが、年々上達してきている。外野守備も守備範囲は広くないものの堅実で、3ポジションとも守ることができる。


性格は良く、2009年にセシル・クーパー監督が解任された時は自身の不振がチームの不振の一因となったこともあり「責任を痛感している」と語った。敬虔なクリスチャンで、若手と気さくに接するまとめ役となっている。



詳細情報



打席別打撃成績



















































打席別 試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 四球 三振 打率 出塁率 長打率 OPS
左打席
1754 4936 1501 338 25 316 1001 967 1017 .304 .420 .575 .995
右打席
866 1555 404 84 5 50 233 234 283 .260 .360 .417 .777

  • 2013年度シーズン終了時[13]


年度別打撃成績






































































































































































































































































































































































































































































































































































O
P
S

1999

HOU
34 106 93 10 22 2 0 4 36 15 5 1 0 1 12 0 0 21 2 .237 .321 .387 .708

2000
114 417 353 76 105 28 1 21 198 67 6 2 0 7 56 1 1 73 6 .297 .388 .561 .949

2001
156 688 577 110 191 55 5 34 358 126 7 9 0 6 92 5 13 121 8 .331 .430 .620 1.051

2002
158 692 578 106 169 35 2 42 334 128 8 4 0 3 107 20 4 118 10 .292 .405 .578 .982

2003
153 658 538 110 155 35 6 25 277 93 5 3 1 3 107 13 9 108 10 .288 .412 .515 .927

2004
160 687 544 104 172 40 3 30 308 106 9 7 0 6 127 14 10 101 10 .316 .450 .566 1.016

2005
132 565 468 76 137 34 1 24 245 82 4 1 0 2 91 12 4 72 18 .293 .411 .524 .934

2006
152 646 536 95 169 29 0 45 333 136 3 2 0 8 98 22 4 106 11 .315 .420 .621 1.041

2007
153 668 561 95 156 24 2 34 286 102 7 3 0 5 94 11 8 125 11 .278 .386 .510 .896

2008
159 665 554 114 173 46 4 29 314 106 18 4 0 5 99 18 7 108 13 .312 .420 .567 .986

2009
136 562 460 73 126 31 1 25 234 80 7 4 0 4 97 14 1 98 13 .274 .399 .509 .907

2010
85 358 298 39 73 16 1 13 130 49 3 2 0 0 60 4 0 70 12 .245 .372 .436 .808

NYY
37 123 106 9 27 7 0 1 37 9 0 0 0 0 17 3 0 15 6 .255 .358 .349 .707
'10計
122 481 404 48 100 23 1 14 167 58 3 2 0 0 77 7 0 85 18 .248 .368 .413 .781

2011

STL
145 587 488 90 147 23 2 31 267 94 2 6 0 4 92 17 3 93 7 .301 .412 .547 .959

2012
32 97 81 12 21 7 1 2 36 7 2 0 0 0 14 3 2 19 3 .259 .381 .444 .826

2013

TEX
73 294 256 27 62 10 1 6 92 34 0 0 0 0 38 3 0 52 7 .242 .340 .359 .700

MLB:15年
1879 7814 6491 1146 1905 422 30 366 3485 1234 86 48 1 54 1201 160 66 1300 147 .293 .406 .537 .943

  • 各年度の太字はリーグ最高


タイトル



  • 打点王 1回:2002年(128)


表彰



  • カムバック賞 1回:2011年


記録


MiLB


  • オールスター・フューチャーズゲーム選出 1回:1999年

MLB


  • MLBオールスターゲーム選出 6回: 2001年、2002年、2004年、2006年、2008年、2011年


脚注





  1. ^ 岡田弘太郎 「知られざる強打者 君はバークマンを見たか」『月刊スラッガー』2008年9月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-9、28 - 30頁。

  2. ^ ab友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、333頁。ISBN 978-4-331-51213-5。

  3. ^ abcd“Lance Berkman Biography” (英語). JockBio. 2008年9月22日閲覧。


  4. ^ “The Ballplayers - Lance Berkman” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月22日閲覧。


  5. ^ “Home Run Derby (2000-2008)” (英語). baseball-almanac.com. 2008年9月22日閲覧。


  6. ^ “Astros, Berkman reach six-year deal Outfielder's contract now runs through 2010 season” (英語). MLB.com. 2008年9月22日閲覧。


  7. ^ “Houston Astros Batting Leaders” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月22日閲覧。


  8. ^ Rangers Sign Lance Berkman MLB Trade Rumors


  9. ^ Texas Rangers decline $12 million contract option for Lance Berkman The Dallas Morning News


  10. ^ Richard Justice (2014年1月29日). “After 15-year career, Berkman decides to retire”. MLB.com. 2014年1月31日閲覧。


  11. ^ “Astros announce plans to honor Berkman, Oswalt”. MLB.com Astros Press Release (2014年2月12日). 2014年2月13日閲覧。


  12. ^ ライアン氏の孫、脳性まひ患うも救援左腕として活躍 日刊スポーツ (2017年5月17日) 2017年5月20日閲覧


  13. ^ “Lance Berkman Career Batting Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年10月22日閲覧。




関連項目



  • メジャーリーグベースボールの選手一覧

  • 左右打席本塁打



外部リンク






  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)


  • Lance Berkman stats MiLB.com (英語)








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