憲法改正








憲法改正(けんぽうかいせい、英:Constitutional amendment)とは、成文法で示される憲法の条文を修正、追加または削除すること[1][2]で、改憲(かいけん)ともいう。国の成り立ち(世界中で望まれる国家の姿、統治者(三権の長)を選出する方法(統治機構改革)、法の支配、国民が国家に生活の基盤を委ねる信託のあり方)を再構築するもので、問題点は主として、



  1. 憲法改正権の所在

  2. 憲法改正の手続

  3. 憲法改正の方向性


にある[3]


支配者には何らかの優遇が認められるべきと考えられるが、憲法の改正の方向性に対して「改善」と感じるか「改悪」と感じるかは、個人と社会のどちらに重点を置くかで異なってくる。憲法の改正と峻別すべきものとして、改正手続を無視または否定する憲法放棄、憲法廃止及び憲法変遷がある[4]。「憲法改正の限界」に関して、条文の一部を修正する部分改正ではなく、国民の権利および改正手続きに基づき国民の信を得て憲法を全て書き換える全部改正を「新憲法の制定」とみるかは議論がある[5]



日本で現在行われている憲法改正の議論については、憲法改正論議日本国憲法改正案一覧を参照。自衛隊問題や裁判官の報酬減額など、政府の見解や憲法解釈について個々に議論され、変遷がなされている部分もある。


なお、日本国憲法は、大日本帝国憲法第73条の憲法改正手続に基づき、1946年(昭和21年)11月3日改正され公布された(1947年(昭和22年)5月3日施行)。施行以後は、一度も改正されたことがない。





目次






  • 1 憲法改正権の所在


  • 2 憲法改正の手続き


  • 3 憲法改正の方向性


  • 4 各国の憲法上の改正手続について


    • 4.1 日本


    • 4.2 アメリカ合衆国


    • 4.3 イギリス


    • 4.4 フランス




  • 5 各国の憲法改正の状況


    • 5.1 デンマーク


    • 5.2 韓国


    • 5.3 イタリア


    • 5.4 アメリカ合衆国


    • 5.5 ドイツ


    • 5.6 スイス


    • 5.7 メキシコ




  • 6 文献情報


  • 7 脚注


  • 8 関連項目





憲法改正権の所在


憲法改正権の所在に関し、近代の立憲主義では、権力分立は普遍的な憲法上の基本原理であり、議会に立法権を保障することが民主主義の通例となっている[6]


憲法改正の限界

憲法改正について限界があるか否かについては、一般に、



  1. 所定の改正手続きをふんでもなお一定の事項については改正を許さないものとする実体的改正禁止規定の効力

  2. 実体的改正禁止規定が存在しない場合の限界の有無

  3. 改正手続規定の改正の可否


の三点が議論される。これら3つの問題に対する答えは、改正権の上位に憲法制定権が別に存在すると考えるか否かによって変わると考えられている[7]。詳細については、「憲法改正論議#憲法改正の限界」を参照のこと。



限界説

いかなる憲法にもその基本原理があり、基本原理を超える改正はできない。ドイツ・フランスなど、人権や統治機構などに関する一部条文の憲法改正を憲法自体で禁止している例もある。




無限界説

無限界論の特色は、およそ法・憲法は歴史の所物であり、歴史の発展に即して改正されることを所期している、とする。したがって、手続き的に瑕疵なく行なわれる以上、憲法の改正は無限界であり、なんら憲法の諸条項の中に軽重の区別をしてはならないし、またそうすることは無意味であるとする。基本的原理が修正または根本的に変更されても、それが歴史の発展にかなうものである以上、憲法の改正として承認されなければならないとするのである。法を歴史的産物として客観的に捉えている無限界説をもって正当と考える[8]





憲法改正の手続き


憲法に適切な改正手続きを定めるのは、革命やクーデターなど非合法な憲法の変更を防ぐ目的がある。適切な改正手続きがあれば重要な政治体制の変革はすべて憲法改正の形で合法的におこなえるからである[9]


憲法の定める改正手続きによらない憲法の変更、たとえば、革命やクーデターは、非合法であり、許されない。しかし、そういう禁止がかならずしも事実において守られないことも、諸国の歴史の示すところである[10]。もっとも、改正ではなく新憲法の制定という手段が最終的に否定されうるかどうかは、革命やクーデターの成功の度合い、新政府に対する国民の支持、旧政府に対する国民の不支持の度合いによっても変わってくる。世界の国では、憲法の変更が改正手続でなく新憲法の制定という形で行われることも多い。


なお、改正の実際上の難易について、硬性憲法であることは、改正が常に事実として困難であるとはいえない。同じ硬性憲法であっても、明治憲法は、五十年余にわたって一回の改正もなかったが、スイス憲法、アメリカの多くの州憲法は、かなりしばしば改正されている。これに反して、軟性憲法の一つといえるイギリス憲法の場合、必ずしも改正が容易に行われるとはいえない。憲法の規定が詳細か簡潔か、憲法を政府や国民がどのような規範として意識しているか、政治的・社会的変化により憲法と実際とに厳しい隔離が生じているかどうか、その空隙を埋める方法として、解釈運用の果たす役割をどう考えるか、改正を実現するに足りる政治力が存在しているかどうかなどによって決まるものである[11]


篠田英朗は、芦部信喜の「押し付け憲法無効論」を否定する意見から、「なぜなら憲法改正の必要性は、『憲法成立の形式よりも、憲法改正の内容そのものにかかっているからである』。」「この芦部の見解を確立することが、東大法学部系の「抵抗の憲法学」の主流派にとっては、自らの存立基盤にもかかわる重大問題であった。」と取り上げている[12]



憲法改正の方向性


改正の論点として、一般的に、統治機構・地方自治・人権などの政体にかかわる規定が取り上げられることが多い[13]


1945年の第二次世界大戦終結以降の、アメリカ・カナダ・フランス・ドイツ・イタリア・オーストラリアの6か国における憲法改正について見れば、統治機構・地方自治(中央と地方の権限変更等)に関する改正が多く、人権に関する改正、憲法改正手続きの改正も見られる[14]


八木秀次は、元々憲法(Constitution)が「国体を表すもの」であり、憲法改正の必要性について国防を取り上げ、「ある時代のある世代が自らの命を投げ出してでも国家の存続を図る行為」と意義づけ、ジョン・ロックによる「社会契約説」(傭兵の発想、名誉革命の擁護)とはベクトルの向きが真逆になる、と述べている[15]。そして、「歴史の連続性をいかに示すのか、ということが一番重要なのです」「憲法に歴史の視点を取り戻し、国家の連続性を確認する必要があるのです」と述べている[16]



各国の憲法上の改正手続について



日本


日本では日本国憲法第96条においてその改正手続を定めている。




  1. 国会の発議


  2. 国民の承認


  3. 天皇の公布



国会の発議

国会の発議は両院の総議員の3分の2以上の賛成によってされる。ここでいう「総議員の3分の2」はそれぞれの議院の3分の2であり、両院の議院全員で3分の2ではない。

その他、細かな争点には以下のものがある。



  • 憲法改正案を国会に提案する権利が国会議員にあることには学説上異論はない。立法上、憲法改正案を国会に提案する権利を内閣や国民に付与することも可能とする見解もある。

  • 審議の定足数は最低限総議員の3分の2以上を必要とする。全員賛成だとしてもこれだけの出席が必要だからである。

  • 総議員の意味は、法律上の定数とする説と、現在議員の総数とする説がある。

  • 両議院の議決は対等である。



国民の承認

国会が議決すると、法案は国民投票にかけられ、承認は多数決によっておこなう。投票の規定については日本国憲法の改正手続に関する法律による。


  • 賛成の投票の数が投票総数(賛成の投票数と反対の投票数を合計した数)の2分の1を超えた場合は、国民の承認があったものとなる(有権者の半数ではない)。


天皇の公布


国民投票で可決されると、改正憲法は天皇がこれを国民の名において公布する。


日本国憲法に関する個別の条文に対する改正内容の論点は、憲法改正論議#憲法改正の論点を参照。



アメリカ合衆国


アメリカ合衆国憲法はいわゆる硬性憲法である。憲法の修正がなされた場合にはそれまでの条文はそのまま残され、憲法修正条項として追加される形により修正される。合衆国憲法第5条によって修正される。



連邦議会は、両議院の三分の二が必要と認める時は、この憲法に対する修正を発議し、または全州の三分の二の議会の請求がある時は、修正発議のための憲法会議を招集しなくてはならない。



いずれの場合でも、修正は、全州の四分の三の議会によって承認されるか、または四分の三の州における憲法会議によって承認される時は、あらゆる意味において、この憲法の一部として効力を有する。いずれの承認方法を採るかは、連邦議会が提案することができる。



ただし、一八〇八年以前に行われる修正によって、第一条第九節第一項および第四項の規定に変更を及ぼすことはできない。また、いずれの州もその同意なくして、上院における平等の投票権を奪われることはない。



これまでの憲法修正では、唯一の例外である修正第21条を除いて、全て前者の方法(議会による承認)によっている(修正第21条のみが憲法会議を経て成立した。)。


なお、アメリカ合衆国は各州にも独自の憲法が存在する。



イギリス



イギリスは、判例、慣習法、法律などのうち、国家の性格を規定するものの集合体が憲法とされる不文憲法国家である。よって、イギリスにおける実質的意味の憲法は、法的には通常の法律制定手続きで成立した法律によって変更される。



フランス


フランス共和国憲法の改正手続はフランス共和国憲法第89条に規定されており、概要は以下の通りである。



  1. 政府又は議会が憲法改正案を提案する。

  2. 憲法改正案を上下両院で過半数の賛成で可決する。

  3. 両院合同会議で5分の3以上の賛成(政府提案の場合のみ)または国民投票で有効投票の過半数の賛成を得て改正案が成立する。


フランス共和国憲法第11条を根拠に、以下の手続きで改正されたこともある。



  1. 大統領が憲法改正案を提案する。

  2. 国民投票で過半数の賛成を得て改正案が成立する。


フランス共和国憲法第11条では公権力の組織に関する法律案は議会を通すことなく上記の手続きでも成立するとされている。また、憲法もここでいう法律に含まれるとされる。そのため、過去には憲法改正案(大統領の選挙方法を間接選挙から直接選挙に変更)が公権力の組織に関する法律案に含まれるとして、上記の方法で憲法改正が行われた。元老院は憲法第89条にもとづかない憲法改正を違憲として憲法裁判所に訴えたが、憲法裁判所は国民投票で成立した法律は審査の対象外で判断する権限を有さないと判示し、憲法第11条にもとづいて憲法が改正されることが確定した。



各国の憲法改正の状況



デンマーク


デンマーク王国憲法は、1849年に制定されたあと、1953年に二院制から一院制に移行した4回目の憲法改正が最後となっている。



韓国


大韓民国憲法は9回にわたって憲法が改正され、特に、そのうちの5回では韓国の国家体制を大きく変えるほどの改正がされた。現在の憲法は第六共和国憲法と呼ばれる。



イタリア


イタリア共和国憲法は14回の憲法改正をおこなっている。



アメリカ合衆国


アメリカ合衆国憲法は、18回、27か条を修正・追補している。



ドイツ


ドイツ連邦共和国基本法は、第二次世界大戦後に新たに制定され、51回の憲法改正をおこなっている。ただし、戦う民主主義にもとづき、民主主義破壊につながるような改正は認めていない(第1章「基本権」)。



スイス


スイス連邦憲法も改正が多く、過去140回以上にもわたる憲法改正をおこなっている。なお、スイス憲法旧25条の2(出血前に麻酔させることなく動物を殺すことを禁止)の削除のように、形式的意味の憲法ではあるが実質的意味の憲法に含まれない条項の改正も含まれる。



メキシコ


メキシコは、1910年のメキシコ革命で1917年に制定された後、最多の憲法改正をおこなっているとされ、2007年11月までに175回改正している。



文献情報



  • 「諸外国における戦後の憲法改正【第5版】」山岡規雄・井田敦彦 国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 932(JAN.10.2017)[2]


  • 憲法制定の経過に関する小委員会報告書、衆議院憲法調査会(1961年) - ウィキソース



脚注




  1. ^ 憲法改正(小学館デジタル大辞泉)


  2. ^ 憲法改正(三省堂大辞林 第三版)


  3. ^ 憲法講義(上田勝美)p286


  4. ^ 憲法講義(上田勝美)p288法律文化社1983.6


  5. ^ 「憲法の改正」と「新憲法の制定」の違い(法学館憲法研究所HP)


  6. ^ コトバンク「立法権」


  7. ^ 憲法第5版(長谷部恭男)pp34-35 ISBN 978-4-88384-168-4


  8. ^ 憲法講義(上田勝美)p288


  9. ^ 宮沢俊義 『憲法講話』 岩波書店〈岩波新書〉、1967年6月1日(原著1967年4月20日)、第2版、p. 215。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    ISBN 9784004100348。2009年5月30日閲覧。



  10. ^ 憲法講話(宮沢俊義)p215


  11. ^ 憲法(第3版)(伊藤正己)pp18-19


  12. ^ ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判p118(ちくま新書)ISBN 978-4-480-06978-8


  13. ^ 法律で規定しても良いような政体の変更に結びつかない事項を憲法によって記載している場合『例:スイス憲法旧25条の2(出血前に麻酔させることなく動物を殺すことを禁止)に関する憲法改正』もあり、その改善がなされることもある


  14. ^ 「諸外国における戦後の憲法改正【第5版】」山岡規雄・井田敦彦 国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 932(JAN.10.2017)[1]


  15. ^ 『憲法改正がなぜ必要か-「革命」を続ける日本国憲法の正体-』pp114-116、PHPパブリッシング、ISBN 978-4-907440-03-9


  16. ^ 『憲法改正がなぜ必要か-「革命」を続ける日本国憲法の正体-』pp126-127



関連項目



  • 憲法


  • 人権、生殺与奪の権利


  • 憲法の変遷 - 条文が変わらないままに規範の意味が変わること

  • 硬性憲法








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