ロサンゼルス・クリッパーズ













































































ロサンゼルス・クリッパーズ
Los Angeles Clippers
チームロゴ
LACと入ったバスケットボールの下にCLIPPERSの文字
所属リーグ
 NBA アメリカ合衆国の旗カナダの旗
カンファレンス
 ウェスタン・カンファレンス 
ディビジョン
 パシフィック 
創設
1970年
チーム史
バッファロー・ブレーブス
(1970-1977)
サンディエゴ・クリッパーズ
(1978-1984)
ロサンゼルス・クリッパーズ
(1984- )
本拠

ロサンゼルス・クリッパーズの位置(アメリカ合衆国内)
ロサンゼルス・クリッパーズ



カリフォルニア州の旗カリフォルニア州ロサンゼルス
アリーナ
ステイプルズ・センター
チームカラー
                        
オーナー
スティーブ・バルマー
社長
ローレンス・フランク
GM
マイケル・ウィンガー
ヘッドコーチ
ドック・リバース
優勝歴
0回
ファイナル進出
0回
ディビジョン優勝
2回(2013年、2014年)
NBADL提携チーム
アグア・カリエンテ・クリッパーズ
ユニフォーム








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Homeのジャージ

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チームカラー


Home





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Awayのジャージ

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チームカラー


Away





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Alternateのジャージ

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チームカラー


Alternate



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ステイプルズセンターのクリッパーズホームコート


ロサンゼルス・クリッパーズLos Angeles Clippers) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、パシフィック・ディビジョン所属。チーム名のクリッパーとは高速帆船のこと。元はサンディエゴにあったため、同市では帆船が活躍していたことにちなんでいる。




目次






  • 1 歴史


    • 1.1 バッファロー・ブレーブス(1970-78)


    • 1.2 サンディエゴ・クリッパーズ(1978-84)


    • 1.3 ロサンゼルス・クリッパーズ(1984- )


    • 1.4 ラリー・ブラウンの時代


    • 1.5 再び長い低迷期へ


    • 1.6 エルトン・ブランドの時代


    • 1.7 ゴードンとグリフィンの時代


    • 1.8 ポール&グリフィン&ジョーダンの時代へ


    • 1.9 ポスト、グリフィン&ポール




  • 2 シーズンごとの成績


  • 3 主な選手


    • 3.1 現役選手


    • 3.2 年代別主要選手




  • 4 栄誉


    • 4.1 殿堂入り


    • 4.2 永久欠番




  • 5 ヘッドコーチ、その他


    • 5.1 歴代ヘッドコーチ


    • 5.2 日本人プレイヤー


    • 5.3 チアリーダー




  • 6 日本での公式戦


  • 7 チーム記録


  • 8 脚註


  • 9 外部リンク





歴史


  • 1970年、バッファロー・ブレーブスとして創設された。同時にリーグに加盟したチームにはポートランド・トレイルブレイザーズ、クリーブランド・キャバリアーズがある。


バッファロー・ブレーブス(1970-78)



  • バッファローには8年留まり、その間同じアリーナをNHLバッファロー・セイバーズと同時に使用した。チームの初代ヘッドコーチは殿堂入りしているドルフ・シェイズで、拡張ドラフトで獲得したボブ・カウフマンとドン・メイがスター選手であった。この年は22勝60敗に終わったが、同じ新加入のキャブスの15勝67敗と比べると7勝多かった。前年シカゴ・ブルズに在籍1試合平均4.3得点だったカウフマンは20.4得点をあげオールスターにも選ばれた。

  • チームは低迷したが1973年にボブ・マカドゥーをノースカロライナ大学からドラフトで取ると、その年プレイオフに進出し、ボストン・セルティックスと第6戦まで戦い2勝4敗で敗れた。

  • 1974-75シーズン、マカドゥーは1試合平均34.5得点、14.1リバウンド、2.12ブロック、51.2%FG成功率、80.5%フリースロー成功率を記録し、シーズンMVPに選ばれた。1974-75、1975-76シーズンは共にプレイオフに進出した。1976-77シーズン途中にマカドゥーがニューヨーク・ニックスにトレードされるとチームは低迷した。このシーズンから1992年までの15年間プレイオフ不出場が続く。

  • 1977-78シーズン終了後チームはカリフォルニア州サンディエゴに移転してサンディエゴ・クリッパーズとなった。



サンディエゴ・クリッパーズ(1978-84)


  • サンディエゴに移転して最初の年は43-39と勝ち越したが、プレイオフ最後のいすに2勝少なくて涙をのんだ。そしてこの後クリッパーズは13年間勝ち越すことなく過ごす。この年、World B. Free がサンアントニオ・スパーズのジョージ・ガービンに次いで、1試合平均28.8得点を記録した。1979-80シーズンにはサンディエゴ出身の名センター、ポートランド・トレイルブレイザーズでNBAチャンピオンになっていたビル・ウォルトンを獲得するが、チーム成績は上がらなかった。ウォルトンはポートランドで過ごした最後のシーズンを足の怪我で棒にふるっていたが、サンディエゴに加入して2シーズン目にも、シーズンを欠場し、ゴールデンステート・ウォリアーズのガードのフィル・スミスとトレードされた。


ロサンゼルス・クリッパーズ(1984- )



  • クリッパーズは1984年にロサンゼルスに移転して、ロサンゼルス・クリッパーズとなった。最初の年は31勝51敗に終わる。

  • その後7年の間、クリッパーズはどん底にあり、1986-87シーズンを12勝70敗(歴代最も成績の悪かったチーム、1972-73シーズンのフィラデルフィア・セブンティシクサーズの9勝73敗を辛くも更新せずに済んだ。)で終わった。その年、殿堂入りしていたエルジン・ベイラーを球団副社長として招いた。ベイラーは、1989-90年にクリッパーズでプレイすることを拒否したダニー・フェリーをクリーブランド・キャバリアーズのロン・ハーパー、レジー・ウィリアムズ(英語版)とトレードした。このトレードは1987年のケン・ノーマン、1988年のダニー・マニング、1990年のロイ・ボウトなどドラフトで獲得した選手とともに、1991-92、1992-93シーズンにプレイオフ進出するための原動力となった。



ラリー・ブラウンの時代



  • 1991-92シーズンの途中でクリッパーズはヘッドコーチを交代させたが、これは非常にうまくいった。サンアントニオ・スパーズを解雇されたばかりのラリー・ブラウンである。ヘッドコーチ交代前22勝25敗だったチームはブラウンに交代した後、23勝12敗を記録、45勝37敗で13年ぶりに勝ち越した。クリッパーズはバッファロー時代以来16年ぶりにプレイオフに進出したが、ユタ・ジャズに2-3で敗れた。1992年4月にロサンゼルスで起きた暴動のためプレイオフの第4戦はアナハイムで行われたが、その試合クリッパーズは勝った。

  • 1992-93シーズンは41勝41敗で終了し、再びプレイオフに出場し、ヒューストン・ロケッツに2勝3敗で敗れた。



再び長い低迷期へ



  • ラリー・ブラウンはインディアナ・ペイサーズのヘッドコーチになるため去るとボブ・ワイスがヘッドコーチとなった。

  • 1993-94シーズンはロサンゼルスのNBAにとって最悪の年で、クリッパーズとレイカーズを合計して、60勝104敗と大きく負け越した。その後数年、クリッパーズは選手、ヘッドコーチをしばしば交代したが、1997年プレイオフに進出した。36-46と負け越していたが、プレイオフに進出したクリッパーズはウエスタンカンファレンス首位のユタ・ジャズと対戦,3連敗でシーズンを終えた。

  • 1994年から99年にかけて、クリッパーズはNHLのマイティーダックス・オブ・アナハイムと同じアリーナを本拠地としたが、1999年からレイカーズと同じステイプルズ・センターに移った。

  • 1999年ラマー・オドムをドラフトで獲得するが、15勝67敗でシーズンを終える。若い選手たちのサポートのために、元オールスターでロサンゼルス出身のデニス・ジョンソン(シアトルとボストンで3回NBAチャンピオンになっている)を採用する。チームはまた殿堂入りしている偉大な元レイカーズのカリーム・アブドゥル=ジャバーをアシスタントコーチとした。デニス・ジョンソンは2002-03シーズン途中までアシスタントコーチだったが、ヘッドコーチに昇格した。アブドゥル=ジャバーは1年間だけコーチを続けた。

  • 2000-01シーズンには大きな変化がもたらされ、控えフォワードのデレク・ストロングと何人かの選手と引き換えにコーリー・マゲッティをオーランド・マジックより手に入れる。そして、ドラフトでダリアス・マイルズ、クエンティン・リチャードソンを手に入れチームの人気は上昇、31-51で終わり、ベンチスタートの選手の1試合平均得点37点はNBAトップとなった。



エルトン・ブランドの時代



  • 翌シーズンさらにチームを改善するためにドラフト当日、ロサンゼルス出身のタイソン・チャンドラーをシカゴ・ブルズのパワーフォワード、エルトン・ブランドとトレードした。それまでの2シーズン、ブランドは1試合平均20得点、10リバウンドをあげていた。ブランドは2002年のオールスターゲームで負傷欠場したシャキール・オニールの代わりに出場した。この年クリッパーズは最後の13試合でわずか3勝しかできずに39勝43敗で終わりプレイオフ進出を逃した。

  • 2002年のシーズンオフには、マイルズと、クリーブランド・キャバリアーズで2001-02シーズン1試合あたり11アシストでアシスト王となったポイントガードのアンドレ・ミラーがトレードされた。これによって、ミラー、オドム、ブランド、オロワカンディ、そしていい働きをするベンチプレイヤーの集まったクリッパーズはプレイオフに向けて順調に進むものと見られたが、チームケミストリーの欠如と負傷者続出(延べ293試合)で非常にがっかりさせられる27勝55敗でシーズンを終えた。シーズン途中にヘッドコーチはデニス・ジョンソンに交代した。

  • 2003-04のシーズンを前にクリッパーズは、ミラー、オドム、オロワカンディ、パイカウスキーといったチームの核となる選手をフリーエージェントで失った。一方ドラフトではクリス・ケイマンを指名し、ブランドとマゲッティと長期契約を結ぶことに成功した。彼らはリチャードソンと共に1試合平均58得点のNBA有数のトリオとなった。新しいヘッドコーチ、マイク・ダンリービーを迎えたクリッパーズは経験のなさと負傷によって28勝54敗でシーズンを終えた。

  • 2004-05年シーズンはクリッパーズとレイカーズとの立場が入れ替わりとなった。シャキール・オニールをマイアミ・ヒートにトレード、殿堂入りが期待されるヘッドコーチ、フィル・ジャクソン、カール・マローン、ゲイリー・ペイトンを失ったレイカーズは34勝48敗、一方クリッパーズは37勝45敗であった。レイカーズと同様、クリッパーズもプレイオフ進出を逃したが、1993年以来、レイカーズの成績を上回った。この年ボビー・シモンズが1試合あたり16得点、6リバウンド、3アシストを記録し、MIP(最も改善されたプレイヤーに贈られる賞)を受賞したが、彼は2005年7月、故郷のシカゴに近いミルウォーキー・バックスと5年契約4700万ドルを結び去った。シモンズの穴を埋めるためにクリッパーズはロケッツ、マジック、キングスでプレイしたカッティノ・モブリーと契約した。モブリーと契約したことでパイカウスキーを失って以来、チームに不足していた長距離シュートを武器とすることができ、ディフェンスの強い選手を手に入れることができた。モブリーは、70年代のビル・ウォルトン以来ひさびさのフリーエージェントで加入した選手となった。8月12日にはさらに大きな出来事があり、ミネソタ・ティンバーウルブズと2人の選手を放出する代わりにサム・キャセールとミネソタがプレイオフに進出した場合の翌年ドラフト1位指名権を手に入れた。

  • 2005-06年は大きな飛躍の年となった。強豪チームに対しての勝利は多くのファンの注目を浴び、エルトン・ブランドはオールスターゲームに選ばれた。そして大きく改善されたチームのことは、多くのスポーツ雑誌に載った。クリッパーズはここ14シーズンで最高の成績をおさめ、1997年以来のプレイオフに進出した。

  • 47勝35敗で終わりバッファローを去って以来最高の成績をおさめたクリッパーズはウエスト6位でデンバー・ナゲッツと対戦することを期待された。4月12日クリッパーズは、ウエスト5位でダラス・マーベリックスとの対戦が見込まれたが、続く7試合のうち、5試合に敗れてメンフィス・グリズリーズがウエスト5位となった。4月22日、クリッパーズは13年ぶりにプレイオフのゲームで勝利した。2日後第2戦も勝利してチーム創設以来初めて2-0とリードした。第3戦を失ったが、第4戦、第5戦を勝ちバッファローから移転して以来初めてプレイオフ1回戦を突破した。続くウエスタンカンファレンス準決勝でフェニックス・サンズと対戦、第1戦を落としたものの敵地の第2戦で122-97と劇的な勝利をおさめた。第3戦は、サンズのショーン・マリオンが32得点19リバウンドをあげる活躍で94-91でサンズが勝利した。第4戦、エルトン・ブランドが30得点、9リバウンド、8アシストと活躍し、114-107で勝利する。第5戦のオーバータイム残り1.1秒でサンズのラジャ・ベルが同点の3ポイントシュートを放ち、ダブルオーバータイムに突入、125-118でサンズが勝利した。第6戦はクリッパーズのディフェンスのスペシャリスト、2年目のクイントン・ロスが自己ベストの18得点をあげる活躍で118-106で勝利した。この試合ブランドも30得点、12リバウンド、3アシスト、5ブロック、マゲッティはベンチスタートでFG8本中7本、フリースロー9本全て成功で25得点、クリス・ケイマンとサム・キャセールは15得点をあげた。第7戦は127-107でサンズが勝利して、この年のクリッパーズの快進撃は終わった。

  • この年のプレイオフ1回戦はサンズ対レイカーズであり、レイカーズが勝ち上がっていた場合、同じアリーナをホームコートとする両チームの対戦という珍しいケースになるところだった。

  • 翌2006-07シーズンはプレーオフ進出ならず、さらに翌2007-08シーズンはエルトン・ブランドがシーズンをほぼ全欠し、チームは地区最下位となった。



ゴードンとグリフィンの時代




  • 2008年のNBAドラフトでエリック・ゴードンを指名し、FAでバロン・デイビスを獲得した。しかし、チームの大黒柱だったブランドとマゲッティがチームを離れてしまい、チーム力低下を防ぐためにマーカス・キャンビー、ジェイソン・ウィリアムス等を獲得した。また、2008-09シーズン中にもトレードでニックスからザック・ランドルフを獲得したが、ウィリアムスの突然の引退発表や主力の怪我が相次いでチームの成績は前年よりも下がる結果となった。シーズン後、その年のNBAドラフト全体1位指名権を獲得した。


  • 2009年のNBAドラフトでブレイク・グリフィンを全体1位指名をした。しかし、プレシーズンマッチでグリフィンは膝を故障してしまい、シーズンを全休する事となった。迎えた2009-10シーズン、グリフィンを欠いたがチーム成績は前年度よりも向上し、ケイマンがその年のオールスターに選出されるほどの選手に成長した。

  • 2010-11シーズンは、グリフィンの事実上のルーキーイヤーとなり、新人の使い方が巧みなことで定評のあるヴィニー・デル・ネグロヘッドコーチの元、グリフィンは優れた成績を残し、新人王を獲得したが、ルーキー中心で、チームとしての層が薄く、32勝50敗という成績に終わった。



ポール&グリフィン&ジョーダンの時代へ



  • 2011-12シーズンは年末にエリック・ゴードンがトレードで去ったが、代わりにクリス・ポールが加入した。またNBAファイナルMVPに輝いた経験のあるチャンシー・ビラップスも獲得し、レギュラーシーズンの勝率は6割を超え、6年ぶりのプレーオフ進出を果たし1stラウンドをも突破したが、カンファレンスセミファイナルでは、ポール、グリフィンが万全のコンディションで出場することはできず、サンアントニオ・スパーズにスイープで敗れている。

  • 2012-13シーズンは、ポール、グリフィンコンビの完成度も高まり、加えてジャマール・クロフォードという優れたシックスマンや経験豊富なマット・バーンズらが加わり、56勝26敗でパシフィック・ディビジョンを制し、第4シードでプレーオフ1stラウンドを迎えたが、前年も対戦し勝利しているメンフィス・グリズリーズに2勝4敗で敗れた。


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グリフィン




ポール




ジョーダン





ドック・リバースHC



  • 2013-14シーズンは、球団社長兼ヘッドコーチにドック・リバースを招き、ホーネッツ時代、ポールの控えを経験しているダレン・コリソンや、リーグ屈指のシューターであるJ・J・レディックを獲得し、昨年より戦績を伸ばし57勝25敗のカンファレンス3位でプレーオフに入り、1stラウンドでは粘るゴールデンステート・ウォリアーズを第7戦で振り切り、プレーオフ初対戦となるオクラホマシティ・サンダーとのカンファレンスセミファイナルへと進んだ。この期間にオーナーのドナルド・スターリングが人種差別に関わる不適切発言をしていたことがスクープされ、NBAコミッショナーのアダム・シルバーから250万ドルと高額の罰金と、永久追放が発表された[1]。セミファイナルでは第5戦逆転負けの後、リバースヘッドコーチが審判を非難する発言をし、リーグより25000ドルの制裁金を課された。第6戦を落とし敗退した。

  • 前オーナーの永久追放処分に伴いチームの売却交渉が行われた結果、2014年8月12日、元マイクロソフトCEOのスティーブ・バルマーがNBA史上最高額となる約20億ドルでチームを買収しオーナーとなることが正式決定した[2]。バルマーはマイクロソフトの取締役を退任しチームオーナー職に専念する方針を明らかにしている[3]



  • 新オーナーを迎えた2014-15シーズンは、終始安定した戦いで、56勝26敗の成績でカンファレンス3位で4年連続でプレーオフ出場。2015年1月には、ドック・リバースヘッドコーチの息子オースティン・リバースを獲得したことでも話題を呼んだ。プレーオフ1stラウンドは、前シーズンNBAチャンピオンでもあるサンアントニオ・スパーズとの対戦となった。第7戦まで縺れる大接戦となった戦いは、クリス・ポールの活躍でスパーズを退け、セミファイナルに進出。続くヒューストン・ロケッツとの戦いは、3勝1敗と先勝したものの、その後3連敗を喫し、3勝4敗で敗退した。

  • 2015-16シーズンは、ブレイク・グリフィンがシーズン中にチーム関係者に暴行を働き、シーズンの大半を欠場するなど不安定なシーズンとなり、53勝29敗で終了。ポートランド・トレイルブレイザーズとの対戦となったプレーオフ1stラウンドでも、グリフィンに加えクリス・ポールまでもが負傷で離脱するなど踏んだり蹴ったりの展開になり、2勝4敗で敗退した。



ポスト、グリフィン&ポール


  • シーズン開幕前にクリス・ポール、シーズン中には2009年のドラフト1位指名以来、約9年に渡ってチームを支えてきたエースブレイク・グリフィンがトレードで去りLob City解体のシーズンとなった2017-18シーズンは2018年4月7日、2011年以来7年振りにプレーオフ進出を逃した[4]


シーズンごとの成績


Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率






























































































































































































































































































































































































































シーズン


%
プレーオフ
結果
バッファロー・ブレーブズ
1970-71 22 60 .268
1971-72 22 60 .268
1972-73 21 61 .256
1973-74 42 40 .512 カンファレンス準決勝敗退
セルティックス 4, ブレーブス 2
1974-75 49 33 .598 1回戦敗退
ワシントン 4, ブレーブス 3
1975-76 46 36 .561 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ブレーブス 2, シクサーズ 1
セルティックス 4, ブレーブス 2
1976-77 30 52 .366
1977-78 27 55 .329
サンディエゴ・クリッパーズ
1978-79 43 39 .524
1979-80 35 47 .427
1980-81 36 46 .439
1981-82 17 65 .207
1982-83 25 57 .305
1983-84 30 52 .366
ロサンゼルス・クリッパーズ
1984-85 31 51 .378
1985-86 32 50 .390
1986-87 12 70 .146
1987-88 17 65 .207
1988-89 21 61 .256
1989-90 30 52 .366
1990-91 31 51 .378
1991-92 45 37 .549 1回戦敗退
ジャズ 3, クリッパーズ 2
1992-93 41 41 .500 1回戦敗退
ロケッツ 3, クリッパーズ 2
1993-94 27 55 .329
1994-95 17 65 .207
1995-96 29 53 .354
1996-97 36 46 .439 1回戦敗退
ジャズ 3, クリッパーズ 0
1997-98 17 65 .207
1998-99 9 41 .180
1999-2000 15 67 .207
2000-01 31 51 .378
2001-02 39 43 .476
2002-03 27 55 .329
2003-04 28 54 .341
2004-05 37 45 .451
2005-06 47 35 .573 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, ナゲッツ 1
サンズ 4, クリッパーズ 3
2006-07 40 42 .488
2007-08 23 59 .280
2008-09 19 63 .232
2009-10 29 53 .354
2010-11 32 50 .390
2011-12 40 26 .606 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, グリズリーズ 3
スパーズ 4, クリッパーズ 0
2012-13 56 26 .683 1回戦敗退
グリズリーズ 4, クリッパーズ 3
2013-14 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, ウォリアーズ 3
サンダー 4, クリッパーズ 2

2014–15
56 26 .683 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, スパーズ 3
ロケッツ 4, クリッパーズ 3

2015–16
53 29 .622 1回戦敗退
トレイルブレイザーズ 4, クリッパーズ 2

2016–17
51 31 .622 1回戦敗退
ジャズ 4, クリッパーズ 3

2017–18
42 40 .512
通算勝敗 1,562 2,326 .402
プレイオフ 44 60 .423


主な選手



現役選手














ロサンゼルス・クリッパーズ ロースター

プレーヤー
スタッフ












































































































































































Pos.
#
名前
国籍
年齢
身長
体重
出身

1.5 G

21

パトリック・ビバリー (Patrick Beverley) Cruz Roja.svg

USA アメリカ合衆国
30 (1988/07/12)

72.0254 6ft1in(1.85m)
180lb(82kg)

アーカンソー大学 

1.5 G
11

エイブリー・ブラッドリー (Avery Bradley)

USA アメリカ合衆国
28 (1990/11/26)

72.0508 6ft2in(1.88m)
180lb(82kg)

テキサス大学 

1.5 G
1

ジャワン・エバンス (Jawun Evans)

USA アメリカ合衆国
22 (1996/7/26)

72.0254 6ft1in(1.85m)
185lb(84kg)

オクラホマ州立大学 

3.5 F

8

ダニーロ・ガリナリ (Danilo Gallinari) Cruz Roja.svg

ITA イタリア
30 (1988/08/08)

72.254 6ft10in(2.08m)
225lb(102kg)

イタリア 

5.0 C

13

マルチン・ゴルタット (Marcin Gortat) キャプテン

POL ポーランド
35 (1984/2/17)

72.2794 6ft11in(2.11m)
240lb(109kg)

ポーランド 

3.5 F
5

モントレズ・ハレル (Montrezl Harrell)

USA アメリカ合衆国
25 (1994/01/26)

72.2032 6ft8in(2.03m)
240lb(109kg)

ルイビル大学 

3.5 F

34

トバイアス・ハリス (Tobias Harris)

USA アメリカ合衆国
26 (1992/07/15)

72.2286 6ft9in(2.06m)
235lb(107kg)

テネシー大学 

2.5 G/F
33

ウェズリー・ジョンソン (Wesley Johnson)

USA アメリカ合衆国
31 (1987/7/11)

72.1778 6ft7in(2.01m)
215lb(98kg)

シラキュース大学 

5.0 C
51

ボバン・マリヤノヴィッチ (Boban Marjanovic)

SRB セルビア
30 (1988/08/15)

84.0762 7ft3in(2.21m)
297lb(135kg)

KKツルヴェナ・ズヴェズダ 

3.5 F
12

ルック・バ・ア・ムーティ (Luc Mbah a Moute)

CMR カメルーン
32 (1986/9/9)

72.2032 6ft8in(2.03m)
230lb(104kg)

UCLA 

3.5 F
30

マイク・スコット (Mike Scott)

USA アメリカ合衆国
30 (1988/7/16)

72.2032 6ft8in(2.03m)
237lb(108kg)

バージニア大学 

1.5 G
4

ミロシュ・テオドシッチ (Miloš Teodosić)

SRB セルビア
32 (1987/3/19)

72.127 6ft5in(1.96m)
182lb(83kg)

セルビア 

1.5 G
0

シンダリウス・ソーンウェル (Sindarius Thornwell)

USA アメリカ合衆国
24 (1994/9/15)

72.127 6ft5in(1.96m)
206lb(93kg)

サウスカロライナ大学 

1.5 G
9

C・J・ウィリアムズ (C. J. Williams) TW.png

USA アメリカ合衆国
29 (1990/02/06)

72.127 6ft5in(1.96m)
230lb(104kg)

ノースカロライナ州立大学 

1.5 G
23

ルー・ウィリアムズ (Lou Williams) 6th

USA アメリカ合衆国
32 (1986/10/27)

72.0254 6ft1in(1.85m)
185lb(84kg)

南グイネット高校 

3.5 F
13

ジャミル・ウィルソン (Jamil Wilson) TW.png

USA アメリカ合衆国
28 (1990/11/20)

72.1778 6ft7in(2.01m)
230lb(104kg)

マーケット大学 




ヘッドコーチ


アメリカ合衆国の旗 ドック・リバース (Doc Rivers)

アシスタントコーチ

  アメリカ合衆国の旗 サム・キャセール (Sam Cassell)

  アメリカ合衆国の旗 マイク・ウッドソン (Mike Woodson)

  アメリカ合衆国の旗 アーモンド・ヒル (Armond Hill)









記号説明










外部リンク










更新日:2018年12月17日






年代別主要選手


太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人










栄誉










ヘッドコーチ、その他



歴代ヘッドコーチ










日本人プレイヤー



  • 田臥勇太 (たぶせ ゆうた)

2005年9月15日に契約したと発表されたが、その後公式戦に出場することなく解雇された。



チアリーダー


日本人チアリーダー



  • 柳下容子 (やぎした ようこ)


日本での公式戦




  • 1994年11月に、ポートランド・トレイルブレイザーズと共に来日し横浜アリーナで公式戦2試合を行なった。この時クライド・ドレクスラー、クリフォード・ロビンソン等が所属するブレイザーズの方が人気があり、1試合ずつのホームゲーム扱いだったが2試合ともブレイザーズ応援のファンの方が多く、クリッパーズは2敗した。当時の中心選手はロイ・ボウトだった。


  • 2003年10月31日、11月1日に、シアトル・スーパーソニックスとさいたまスーパーアリーナで開幕2試合を戦った。第1戦でエルトン・ブランドは21得点15リバウンド8ブロックと奮闘したが、右足骨折により第2戦は欠場した。もう一人の得点源コーリー・マゲッティは平均23.5得点と活躍したが、ソニックスのオフェンスを止められず、連敗した。



チーム記録


  • ロサンゼルス・クリッパーズのチーム記録


脚註


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  1. ^ Yahoo.sports


  2. ^ NBA=クリッパーズ売却完了、マイクロソフト前CEOがオーナー - ロイター・2014年8月13日


  3. ^ バルマー前CEO、MS退社=クリッパーズ運営に専念 - 時事通信・2014年8月20日


  4. ^ “LA Clippers miss playoffs for first time since 2011” (英語). NBA.com (2018年4月7日). 2018年4月8日閲覧。




外部リンク


  • Los Angeles Clippers オフィシャルサイト



















































































































































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Старые Смолеговицы Содержание История | География | Демография | Достопримечательности | Примечания | НавигацияHGЯOLHGЯOL41 206 832 01641 606 406 141Административно-территориальное деление Ленинградской области«Переписная оброчная книга Водской пятины 1500 года», С. 793«Карта Ингерманландии: Ивангорода, Яма, Копорья, Нотеборга», по материалам 1676 г.«Генеральная карта провинции Ингерманландии» Э. Белинга и А. Андерсина, 1704 г., составлена по материалам 1678 г.«Географический чертёж над Ижорскою землей со своими городами» Адриана Шонбека 1705 г.Новая и достоверная всей Ингерманландии ланткарта. Грав. А. Ростовцев. СПб., 1727 г.Топографическая карта Санкт-Петербургской губернии. 5-и верстка. Шуберт. 1834 г.Описание Санкт-Петербургской губернии по уездам и станамСпецкарта западной части России Ф. Ф. Шуберта. 1844 г.Алфавитный список селений по уездам и станам С.-Петербургской губернииСписки населённых мест Российской Империи, составленные и издаваемые центральным статистическим комитетом министерства внутренних дел. XXXVII. Санкт-Петербургская губерния. По состоянию на 1862 год. СПб. 1864. С. 203Материалы по статистике народного хозяйства в С.-Петербургской губернии. Вып. IX. Частновладельческое хозяйство в Ямбургском уезде. СПб, 1888, С. 146, С. 2, 7, 54Положение о гербе муниципального образования Курское сельское поселениеСправочник истории административно-территориального деления Ленинградской области.Топографическая карта Ленинградской области, квадрат О-35-23-В (Хотыницы), 1930 г.АрхивированоАдминистративно-территориальное деление Ленинградской области. — Л., 1933, С. 27, 198АрхивированоАдминистративно-экономический справочник по Ленинградской области. — Л., 1936, с. 219АрхивированоАдминистративно-территориальное деление Ленинградской области. — Л., 1966, с. 175АрхивированоАдминистративно-территориальное деление Ленинградской области. — Лениздат, 1973, С. 180АрхивированоАдминистративно-территориальное деление Ленинградской области. — Лениздат, 1990, ISBN 5-289-00612-5, С. 38АрхивированоАдминистративно-территориальное деление Ленинградской области. — СПб., 2007, с. 60АрхивированоКоряков Юрий База данных «Этно-языковой состав населённых пунктов России». Ленинградская область.Административно-территориальное деление Ленинградской области. — СПб, 1997, ISBN 5-86153-055-6, С. 41АрхивированоКультовый комплекс Старые Смолеговицы // Электронная энциклопедия ЭрмитажаПроблемы выявления, изучения и сохранения культовых комплексов с каменными крестами: по материалам работ 2016-2017 гг. в Ленинградской области